top » 小林武史 × 佐藤可士和
小林武史 × 佐藤可士和
2004年、Bank Bandの記念すべきファーストアルバム『沿志奏逢』のジャケットをデザインしたのが、今やあらゆるジャンルで「デザイン」を仕事にする、佐藤可士和さんだった。
『沿志奏逢』のキュウリイラストはどこから生まれたのか。
この5年間で変わったこと、変わらないこと、二人の対話が始まったーー。
updata:2009.10.08
第4回 イメージする力
佐藤 今の小林さんの話につながるんですが、僕、昨日まで夏休みで、南仏へ行って、まさにそういう感じのところへ泊まっていたんですよ。イザベラというジャーナリストだった人がやっている、「
Graine&Ficelle」というシャンブルドット(民宿)みたいなところ。
畑があって、動物を飼っていて。そこにイザベラたちも住んでいて、ゲストが泊まるためのテントがひとつある。飼っているヒツジや馬に餌をあげたり、そこで採った野菜を食べたり。
イザベラのところで作業している人たちは、失業者だったんですよ。失業者を受け入れて、自立させていくようなことをやっていて。シャワーは途中で止まっちゃったりしてキツイんですけれど(笑)、インテリアとかしゃれてるんですよ。格好いいの。2週間南仏を回ったうちの4日間いたんだけれど、だいぶ刺激をもらいました。
小林 僕が考えているのも、ほとんど同じことかもしれない。
今の日本に充満している閉塞的な空気を思うと、一刻も早く、そういうことをやったほうがいいなと思うんだよ。
せっかく命を授かって生きているのに、経済の理屈で先が見えない気分になるというのがつまらなくて仕方ない。みんなで考えていけば、世界はある程度、イメージしたようになるはずなんだよ。
佐藤 イメージする力って、ありますよね。
セルン(CERN:欧州原子核研究機構)って、知ってますか? 少し前に話題になっていたダン・ブラウンの『天使と悪魔』という映画化もされた小説に出てきて知ったんだけれど、セルンは世界最大規模の素粒子物理学の研究所なんです。フランスとスイスをまたぐ場所にあって、ヨーロッパだけでなく日本や世界中からトップクラスの科学者が集まって、とてつもない予算をかけて、最先端の研究をやっている。
さっき話したイザベラの宿のあとに、そこを見学させてもらったので、ものすごい両極端を見て来たんだけれど。
セルンにはLHCという巨大な加速器があって、それは山手線一周の内側と同じくらいの周囲、全周27キロのトンネルを地下100メートルに掘っていて、そこに電極入りのパイプを通し光の速度で陽子と陽子をぶつけて観察している。そうすることで、レプトンとかクォークよりも小さい素粒子を作り、それを研究することでビッグバンの時に何が起こったのかを研究しているんです。実験を重ねることで、宇宙の秘密に近づくんじゃないか、という。
セルンを案内してもらって、研究者たちに本質的なことを聞いてみたら、結局「我々はどこからきたのか」ということをつきつめて考えていくと「宇宙とは何か」という疑問へいきつくと言うんです。
人類の歴史としては、ギリシャ哲学から考え始めた命題を、セルンは1970年代から30年くらいで、かなりの部分まで解明してきた。あらためて考えてみると、ここ数十年で、よくぞクォークやレプトンというところまで行き着いたな、と思うんですよ。凄いことじゃないですか?
感情に近い音楽
佐藤 その研究を支えてきたのは、イメージ力だと思うんですよ。
たとえばアインシュタインの相対性理論も、すべて「理論」なわけで、イメージの力で「光速は超えられるのか」「光速を超えると質量が高くなる」といったことを考えている。
なぜ、そんなことができるんだろう、と思うんだけれど、人類の科学の歴史はイメージを積み重ねることで今の領域にまで来ているんですよね。
5年前、小林さんと環境について話したときに「環境への答えはみつからないな」と、すごく思ったんだけれど、セルンで研究している人はもっと答えが出ないことを毎日やっているわけですよ。年間数千億くらいかけた予算で、見つかるかどうかわからないことを探しているって、人によっては意味がないと思うかもしれない。でも、現実には仮説をたて、実験をかさねることで発見もあるわけです。だから環境問題も、イメージすることをやめずに、考えていくことでブレイクスルーするのかもしれない。
小林 なるほどね。今という時代は「なぜそれをやっているのか」という理由を、厳しく問われるようになってきているんじゃないかな。その結果、社会がタイトになって、生まれてくるものがつまらなくなっているのかもしれない。
一昨年、阿久悠さんが亡くなった時の追悼番組を見ていて、昔の歌手の人たちと今のアーティストは変わってしまったんだな、って思った。いろいろなことが違っていたんだと思うけれど、人間の感情が宿る部分もたくさんあったんだよね。
「瑣末な感情」と、僕はあえて言うんだけれども、人間はいつも崇高なことばかりを思うわけでもなしいね。人ごみにいれば「うっとおしいな」と思ったり、出会いや別れがあったり、そういう感情に近いところに、日本の音楽はあったんじゃないだろうか。そういう音楽があるだけで、人は楽になったのかもしれない。
今はもちろん、ファンとの繋がりを大事にするアーティストが増えているから、ファンとアーティストとの中でいうと、共に育ち、愛情を交換しあうような関係というのは生まれやすいんだけれども、それはファンとアーティストの中でしかわからなかったりして、なかなか「みんなの歌」にならないんだよね。その良さもあるはずだけれど、一方で時代感が薄くなってしまうのは仕方がない。
僕としては、未来や環境のことも大事だけれども、「瑣末な感情にいかに下りていくか」ということを、最近すごく思っている。瑣末というのは、どんな人でも感じる、日常的な気持ちということなんだけど。
ネオコラージュという言葉を使い始めたのも、異質なものでも構わないから、出会ったことがないようなものを結びつけたかったから。ネオというくらいだから、コラージュされたものが融合されていくのを、エンターテイメントを通してやらなくちゃな、と思って。僕がTGCでやった「ブラッドベリイ・オーケストラ」は、バリバリのロックとダンスミュージックと、ポップが融合されたものだからね。
佐藤可士和
アートディレクター/クリエイティブディレクター
1965年東京生まれ。博報堂を経て「サムライ」設立。SMAPのアートワーク、NTT docomo「N702iD/N-07A」のプロダクトデザイン、ユニクロ、楽天グループのクリエイティブディレクション、国立新美術館のVIとサイン計画等、進化する視点と強力なビジュアル開発力によるトータルなクリエイションは多方面より高い評価を得ている。東京ADCグランプリ、毎日デザイン賞ほか受賞多数。
明治学院大学、多摩美術大学客員教授。著書に『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞出版社)
http://kashiwasato.com
(撮影/今津聡子 構成/エコレゾ ウェブ編集部)