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緊急会議 高橋美加子×小林武史 「どうか福島のことを忘れないでください」

緊急会議 高橋美加子×小林武史 「どうか福島のことを忘れないでください」

予断を許さぬ福島原発の状況。そんななか、高橋美加子さんはいまも南相馬市で生活を続けながら放射性物質に翻弄されつづけている日常の現実をネット上で発信し続けている。その言葉にこめられた想いは、被災地以外に住むわれわれに向けられた痛切なるメッセージだった。

updata:2011.06.07

汚染してしまったからには、共生するしかない

何も変わらないのに人が住めない、という不気味さ

緊急会議 高橋美加子×小林武史 「どうか福島のことを忘れないでください」
小林 先日僕らがap bankで内々に行った"ap bank forum"というエネルギー勉強会があって、冒頭で高橋さんに発言していただいたんですよね。東京に住んでいる人たちがほとんどのなかで、南相馬からいらっしゃった高橋さんの声、あれはすごくリアルに響きました。

高橋 そうですか、ありがとうございます。余計なことを言ったんじゃないかと心配だったんだけど。
小林 いえいえ、本当に来てくださってよかったですよ。あれから東京にはよく出向かれてるんですか?

高橋 あのときだけです。だって遠いんですもの。

小林 そうですよね。

高橋 いえ、正確には「遠くなっちゃった」の。
高橋 JR常磐線が(福島第一原発から)20km圏に入ったから動かなくて。たぶんしばらく復旧しないんじゃないですかね。あと国道6号もダメ。新幹線に乗るにも、福島市に行くには線量の高い飯館村を通って行かなきゃならないし。みんな「陸の孤島になったね」なんて言ってて。あとは仙台までバスがあるくらい。

小林 先日、東京にお出でいただいたときにもあれこれ話し合いましたが、これから福島の人たちに対していったいどういうことができるんだろうかということを僕らはいま真剣に考えているところです。そのためには、まずは現地に来てみないとダメだと思って今日はやってきました。恥ずかしながら震災後きちんと立ち寄らせていただいたのは今日が初めてなんです。宮城や岩手には何度も行っていたんですが......。

高橋 不思議な感じでしょ。なんでもないんだもの。こっちに来た人はみんななんとも言えない感じになるんですよ。
小林 そうですね、ここに来るまえに飯館村のあたりを通りましたけど、店はみんな閉まってて。でも、山の木々を見てるとなにも変わらないんですよね。

高橋 そう、なにも変わらない。変わらないのに人が住めないっていう不思議さというか不気味さと言うかね。これは本当に言葉では表せないし、だから、わかってもらえないなっていう気持ちがすごく強くて。とにかく「知ってください」と言ってるんですけど、どうやって伝えたらいいのかわからないんですよね。

小林 難しいですね。

高橋 ただね、ここで暮らしていると日に日にそういう難しい場所だってことを実感していくんですよ。放射線量の話は日常的に飛び交っているし、あと「線量計が欲しいよね」とか。今朝もちょうど大阪の人が来て、首からぶら下げるタイプの線量計が卸値で入りそうだっていうんですよ。で、ちょっと周りに聞いてみたら、あっというまに25個も注文が集まったんです。
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高橋さんがお持ちの線量計(上)と
積算量を知らせるフィルムバッジ(下)。

うちだけでもお店の分とそれぞれの兄弟の家族、あと娘のとこも、なんていってると、あっという間に12個くらいになっちゃうんですよ。線量計は本当に喉から手が出るくらい欲しい。だって、全然見えないんだもん。まるで心理戦争みたいなことになってる。

小林 そこまでくるとやはり、この土地から離れるということが頭を過ったりもするんでしょうか?

高橋 過ることはあるでしょうね。でもね、結局は絆なんですよ。震災後すぐに、とある基金の方たちが郡山の避難所に行って「子どもたちを受け入れるから引っ越しなさい」って言ったんだけど、誰も応じなかったっていうんですよ。
やっぱり家族とか、地域とか、その絆が優先されるんですね。 もちろん自分の意志をよく確かめて、自分の決断でとどまるっていうことなんだけど......本当に悩ましいです。こういう地域での暮らし方って、誰も経験したことないでしょ?

小林 本当ですよね。いまはどのくらいの人が町を離れてるんでしょうか?

高橋 元の人口が7万人くらいなんですが、4万人弱くらいは住んでると聞いています。まただんだん増えてるんですよ。やっぱり避難生活は耐えられないんですね。だから戻ってきてる。
小林 じつは、南相馬には震災前に一度来たことがあるんです。 そのときは見覚えのない地名ばかりだったんですけど、今回はどの標識を見ても全部知ってる地名になっていて、なんだか妙な気分でした。あと、以前来たときに比べると、やっぱり人通りが少ない感じがしましたね。

高橋 誰もいなかったでしょ。まあ、もともとここはそんなに人はいないんだけど(笑)

原発は、危険の先に何があるのか誰も分からない

小林 お仕事(クリーニング業)の方も注文数が減ったりしているんですか? さっきちらっと店先を拝見したら、かなり服が並んでましたが。

高橋 今はちょうど衣替えの時期でね、ずっと休んでたぶん圧縮されて結構忙しいんですよ。でも、平均したら絶対に落ちてますよ、3割以上は。クリーニング業って3~6月で稼がないと1、2月なんかは寝てるようなもんなんですよ。すごく季節変動が激しいんです。この時期に稼がなかったら赤字になる。だから、今はうんと忙しいけど、このあとはどうなるかなって感じですね。

小林 今回の問題って、原発にどう関わっていたのか、人によって、地域によって、家庭によって違うわけですよね?

高橋 そうそう。関わってる人がとにかく多いからね。今も原発で働いている人がたくさんいるけれど、現場の人たちは「申し訳ない」とか、「自分がやらなきゃ」っていう気持ちで仕事に行っているわけですよ。
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でも、せっかくその人たちがひどい環境の中で不眠不休のように働いてるのに、上の方の人たちがどうしようもないと、その努力が無になるような気になりますよね。

小林 そう感じることがあったんですか?

高橋 (5月)20日に、事業者に対する仮払いに関しての東電の説明会が商工会議所であったんですよ。すごい人数が集まってね。150人しか入れないのに300人以上は来てました。
でも、はじまってみたら中身は経過説明だけで「調整を進めているところです」って。そんなの知ってるよ、ってみんながっかりしてね。東電に対する怒りというのは、信頼関係の無さ、あちらの誠意の無さなんです。私たちのことを結局はそんなふうにしか思ってなかったのかっていうのを感じるからなんです。

小林 高橋さんはもともと福島に原発が来るときに反対なさっていたわけでしょう?

高橋 私は反対しました。30km圏なので「当事者」ではなかったんですけど。
小林 南相馬にもずいぶんお金が入ったんですか?

高橋 南相馬市は入らないの。浪江町まで。

小林 地域への助成金などは?

高橋 それでいうと雇用創出っていうのが大きいですよね。富岡町なんて福島県内でいちばん可処分所得が高いんだって。銀行の人が言ってた。要するにすべてお金だよね。原発はみんな、お金、お金、お金、でみんなを黙らせて。
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小林 そういう中で高橋さんが反対されていたのはどういう理由だったんですか?

高橋 私はね、冷静に考えてこれは人間がコントロールできるようなエネルギーじゃないって思ったの。「生命」っていうレベルで見たら、絶対にこれは手を出しちゃいけない。これに手を出したら終わりだって感じた。

小林 そうなんですよね。ここに来て放射能というものがどれだけ生物と相容れないのかということがようやく世間の知るところとなりました。いつか遠い未来に、僕らがよほど余裕で放射能を扱えるようになるまでは封印するしかないんだと。

高橋 それが、福島はプルサーマルまで容認してしまったわけですよ。

小林 高橋さんが反対の声を上げはじめたのはいつごろだったんですか?
高橋 35、6年前です。(福島の)原発ができたのが40年前。うちのいちばん上の子が幼稚園とかそのくらいの時期。その時すごくみんなで反対したわけです。東京からも反原発の人たちが来て、住み込んでまで反対運動をしていたけれど、地元の人たちはそれに対して全然反応を示さない。双葉町の議員さんなんかは「原発に反対する人は町から出て行ってもらう」みたいな発言をしていて......。たしかにね、今までずっと貧しくて「日本のチベット」だなんだって言われていたところがみんな急にお金持ちになるんだもん。そうしたらね、自分だけ貰わないのは損だって話になりますからね。
今回の100万円だってそう。こういう帯がついたのがぽんと1個。

小林 今度の100万円って?

高橋 こんどの事故での東電から家庭への仮払いですよ。あの100万円だっておかしな話なんです。本当はひとりひとりに払うべきお金じゃないですか? それを世帯に払うんですよ。単身の世帯なら75万円、二人以上なら何人いても100万円。なぜ世帯じゃなきゃいけないのか。いつも妙なトリックがあるなって感じますよ。
私からしたらおちょくられてるようなことばっかり。いったい誰が決めてるんだか。国が決めるんですかね? 「仮払い」っていうのは経理上で言えば精算しないといけないから、あとで取り返されるんだろうかなんて言ってる人もいるけど。

小林 たしかにそうですね(笑)。そうやってなしくずしのような形で原発が出来て、それでも40年間はよかったって思えていたんですか?

高橋 いやぁ、誰もよかったなんて思ってないですよ。危ないっていうのはわかってたんです。
高橋 ただどういう危なさなのかがわからなかっただけで。 ちゃんと知らせられてないから、人によってこれは安全なものなのかもなってなんとなく信じていただけで。40年間も事故が起こらなかったらそりゃみんな信じてしまうでしょう。

小林 まあ、そうですね。

高橋 でも、(3月12日に)防災無線で原発が爆発したって聞いたとき、もうクモの子を散らすようにみんな何も持たないで逃げました。双葉町なんかは7000人のうち5000人がその防災無線だけで逃げたと聞きました。それは危険だっていうことを知ってた証拠ですよね。原発っていうのは爆発したらもう終わりだってみんな思っていたわけですよ。でも、その「終わりだ」っていうのは言葉上のことであって、そのあとどんなことになるかっていうのは誰も知らなかったんです。
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起きてしまった汚染に、これからどう向きあっていくのか

原発はしょっちゅう見学会をやっていたんですが、そこで放射能の危険性について質問しても「事故なんて起きないんだから、起きないことをなぜ質問するんだ?」って怒られるんです。なぜだかお土産だけはいっぱいくれるんだけど(笑)。だから私たちは放射能の知識ってのが全然ないんですね。私たちっていうより、この国の誰にもないのかもしれませんけど。ここでは学校の授業でも「原子力はクリーンエネルギー」ってやってました。でも「もし原発に事故があったら?」なんてことは一回も出てこない。だから、今困っているわけですよ。どうやったら体に入った放射性物質が外に出て行くのかって。私たちが今いちばん欲しいのは生活情報なんです。放射能があるところで暮らすには? 影響をできるだけ受けないためには? そのためにはどんな暮らし方をしたらいいのか。例えば、この炭(写真参照)なんかもそういうことですよね。炭は放射性物質を吸ってくれるんですって。菜の花と同じようにね。これは食べられる炭に加工してあるんです。

小林 食べられるんだこれ!? ご飯にまぶしたりとかするんですか?
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左が炭の粉をお湯で溶いたもの。右のコーヒーと比べると炭の黒さがよくわかる。ちなみにほとんど味はしない。

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高橋 お湯に溶いてお茶みたいに飲んだりね。炭っていうのは粒子が角ばってるからよっぽど細かくしないと胃を傷つけたりするんだそうですが、これは特別細かく加工してあるので大丈夫なんです。こういうものが本当に必要。まあ、本当に欲しいのは「放射能と暮らす手引書」なんだけど(笑)

小林 望んでいたわけではないのに、いまはそれとの付き合い方を知る必要がある、と。

高橋 そうそう。誰が望んで共生なんかしたいもんですか(笑)。汚染しちゃったから逃げるしかないっていうのが今の状況。でもね、実際は人間ってそんな簡単にいかないんですよ。見た目にはなんでもないのに、ここに全部置いて逃げろって言われたって無理でしょう。

小林 立ち退けと言われない限りはそこにいることが自然ってことですね。
高橋 痛みや熱や色でもあればすぐに逃げますよ。でも、本当に「なんでもない」から。

小林 ただ、子どもたちのことを考えるとそうも言ってられないですよね。

高橋 そうなんです。私はどう頑張ったってあと50年は生きないけど、子どもたちは50年経っても生きてますからね。そうなると、やっぱりちょっとしたことで心が揺れますよ。せめて夏休みの1週間でもいいから子どもたちをここから脱出させてあげて、思いっきり空気を吸って、泥んこになって遊んで。そういうことができないものかなと思います。

小林 (山口県の)祝島なんかは早い段階からそういうプログラムを企画していましたよね。

高橋 他にも教育委員会にはいろんなところから提案が来ているはずなんです。でも、ぜんぜん具体的な話は聞こえてこない。おそらく「精査してます」ってやつですよね。教育委員会なのか、文科省なのか。
小林 時間が経つにつれて被災地に対してだんだん関心が薄れてきている感もあるなかで、福島のことにもっと関心を持ってほしいですよね。

高橋 はい。私たちにとっていちばん悲しいのは「忘れられる」ことなんですよ。忘れられるということは、存在してないような状態におかれるっていうことだから。本当にね、私たちの側からはよく見えているのに、向こうからは見えないっていう、それはもう本当に悲しいです。

小林 少なくとも福島で発電した電力を、東京の人間が使っていてこういうことになってるんだから、そこは我々も自覚を持たなきゃいけない。
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いまこそ私たちには、本物の芸術が必要だと思う

高橋 こないだのap bank forumに参加していたある方が「必要なのは"脱・原発"じゃなくて"脱・受け身"だ」って言ってましたよね。ほんとにそう。みんな受け身でいることに慣れちゃってるんですよね。コマーシャリズムが席巻する世の中で、自分が望まなくてもいろんなものが目の前に並べられて、それをただ選ぶという生活しかしてこなかった。自分が住むところにしたって「どんな家に住みたいか?」を考えるんじゃなくて展示場に行って選んで買うだけ。ちゃんとした人が設計してくれたんだから問題ないよね?って。原発もそうですよ。パターンはみんな同じ。

小林 すべてがその縮図のような気がしますね。

高橋 だからこそ私はいまアートというものが重要だと思ってるんです。
津波の映像をあれだけ見せられて、楽しい気分でいられる人はどこにもいないよね。 そうすると、だんだんなにも感じなくなってくるんですよ。感情にシャッターを降ろしたようになる。でもね、そのシャッターを突き抜けてくるものがアートなんですよね。消費的なものや中途半端なものではダメ。でも、本当のものに触れたときには人は、それまで心が閉じていたことに気づくんです。そのときに人は生き返るんですよ。

小林 表現の真髄みたいなところですね。

高橋 そうなんですか? 私は専門的な勉強をしたわけじゃないからよくはわからないけれど。本当のものに触れたときに感じることは、絵でも音楽でも書道でも、なんだって共通しているような気がするんですよね。
その感じは、すごく個人的なことだって思うんです。だから、みんながみんな良いっていうものが本当に良いってわけじゃないんですよね。

小林 高橋さんのおっしゃっているようなものは、「こういうふうにやってやろう」と作為的にできることではなくて、自分がまるで"触媒"になるような作用を感じてはじめて出来ることだと思います。決して小手先やマニュアルでできることではないですね。 いま思えば、震災前に日本の音楽は行き先を見失っていたところもあったと思うんです。でも、そういう"本当の音楽"というようなものが、これから増えていく可能性はあると思いますよ。それに、音楽だけじゃなく、これを契機にしていろんな表現の可能性がでてきたとも思っています。
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高橋 日本人ってね、みんなどこかで自主規制をしてるんだと思うんですよ。自分の生の感情を抑えるようななにかがある。でもね、いまはそれを全部取っ払っていいときだと思うんです。それだけのことが起きてるんだから。みんな肩書きとか立場とかあって、それに合わせた生き方を必死でしてるんでしょうけど、本当はただの生き物でしょう?

小林 そうですね。

高橋 今の私はただただ悲しいって言葉がいちばんぴったりきます。世の中っていうものは、こんなことでしか成り立たなくなっていたのかって。その悲しさっていうのを抱えたまま生きていかなきゃなっていう思いです。本当に生きていくのが悲しいもん。悲しいからここ(南相馬)で生きていくんです。そういう心境。

小林 僕は東京に住んでいますけど、東京までそういう悲しさがグラデーションみたいになって伝わってきています。
高橋 日本全体が悲しくなっていますよね。でもね、人間ってそれでも生きていくエネルギーは湧いてくるもんです。時間が経つと「生きなくちゃ」って気持ちになるんですよね。ここで何かしなきゃって思いはじめるんです。不思議なものですよね。もしかしたらね、私はこの震災で一度死んだのかもしれない。原発の爆発のときに心のなかで何かが割れて、変わってしまった。そのときに過去のいろんなことを捨ててきたんじゃないでしょうかね。以前の私なら、よく知らない人に呼ばれて東京にひとりで出向くなんて考えられないことだったから(笑)。

小林 僕らも、今日こうやって南相馬に来たのをきっかけとして、高橋さんがいま感じられている使命のようなものを少しでもお手伝いできればと思ってます。

高橋 ええ、ぜひやりましょう。亡くなった人たちとその家族に敬意を表しながらね。それを忘れちゃダメだよね。
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(撮影・取材・文/編集部)

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