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緊急会議 河野太郎×小林武史(1)「一人ひとりが行動し、選択する社会へ」

緊急会議 河野太郎×小林武史(1)「一人ひとりが行動し、選択する社会へ」

緊急会議、第5弾。今回のお相手は自民党所属の衆議院議員、河野太郎さん。以前からエネルギー政策の転換を提唱してきた河野さんが語る、現状の政治の問題点と、それを打開するために私たちがするべきこととは?

updata:2011.04.21

この日本が、復旧ではなく復興するために

世界中の原子力の知見を結集し、信頼できる情報提供を

緊急会議 河野太郎×小林武史(1)「一人ひとりが行動し、選択する社会へ」
小林 僕ら、被災地ではずっと宮城県石巻市にベースを構えているんですが、栗駒市の方では復興住宅のプロジェクトのミーティングを昨日やってきました。仮設住宅を建てるにも資材が足りない状況があるので、東北の木材を使って、地域の中で経済も回るようなやり方で進めようということを提案している人がいまして。一応、復興住宅という呼び名にして。なかなか興味深いプロジェクトでしたが、行政の方も色々な思惑があるでしょうから、すんなり進むという訳ではないかもしれませんが。

河野 どう復興するか、というマスタープランを作っていかないといけないと思います。元に戻すだけでは意味がないので。

小林 本当にそうですよね。

河野 結局、この一か月間で復興への計画が何も出てこなかったものですから。その間に、やれ仮設住宅だなんだと、一気に始まってしまった。
復興よりも、「早く元に戻りたい」という復旧への動きの方が当然、早いんですよね。だから内閣に「大方針を早く出せ」と言っているのだけれども、「総理もテンパっています」みたいな感じになっていて。ちょっと困っているんですけれどね。

小林 僕らがap bankを作ったのは、ちょうど9・11の後だったんです。お金の使い方やみんなの消費のあり方が変わることで、未来をサステナブルな方向にすることができるんじゃないか、という考え方から始まったんですね。だから今回、東北がこれだけ壊滅的なことになってしまったけれど、いい形で復興していって欲しいなという思いがあって。

河野 そうですよね。今までの日本では出来なかったけれど、こういう状況で復興しなければいけないのだから「それなら最初からこうやりましょうよ」っていうことができるはずなんですけれどね。だから自然エネルギーも、今までは火力や原発で、東北から見るとお金を払っているだけだったのが、
太陽光や風力、バイオマスなどの発電所を作れば、逆にそっちへお金が落ちてくるかもしれないし。

小林 そうですよね。

河野 今まで東京や仙台に払っていた電気代が、逆に地域を押すことになると、経済的には向きが変わりますから。そういう方針を早く出してもらって、究極のエコタウンみたいなものを作れたらいいのに、とは思いますけれどね。なかなか出てこないので(笑)。

小林 ところで、福島原発での事故について国際評価の尺度がレベル7になりましたよね。今の状況をどう捉えるかということですが、今日の全体的な話にもなると個人的には思うんです。国民、そして市民の一人ひとり、自分たちの中にも問題があるという自覚が、僕にはあるんですけれども。 いずれにしても外から、「あんたの家は、結構ひどいことになっているよ」と言われていますよね......(笑)。

河野 相当、ひどいですよね(笑)。
小林 その状況で、僕らの中で責任の擦り付け合いをしても、悲しいだけだという感じがするんです。震災から一か月が経ちましたが、河野さんは今のこの状況をどのように考えてらっしゃいますか?

河野 今は日本政府が何を言っても、海外も信用していないし、国内でも「直ちに影響ありませんと言うが、じゃあ将来的には影響があるのか?」と国民が思うような状況になってしまっている。相当、風評被害が大きいですよね。対策本部や、官邸での枝野さんの発言も、なかなか信頼されにくくなってきている。だから、早く日本とIAEAで統合本部を作って、世界中の原子力の知見を集めて、精査した上で発表しなくてはいけないと思うんです。それから、長いスパンの中で原子力というものは歪んだわけですよ。極端な話で言うと、原子力安全保安院は安全を確認しなければいけないし、規制をする側の役所なのに、経産省という原子力をプロモーションする側の役所の下に入っているんですよね。だから、一所懸命に記者会見をしている人も、ちょっと前までは経産省にいたじゃないかということもある。
そのようにプロモーションする側と規制をする側の人間がずっと同じだったんです。
そして、原子力についてはすべて経産省が抱え込んで、他の役所は一切手を出せない、ということを認めてきたわけですよね。それで、いざこういう事故が起こった時に、保安院は「不安院」と言われて、あそこが何か言うと、みんな不安になってしまうような状況になってしまった。

小林 うーん(笑)。

河野 それに「津波の高さは想定外でした」と言うけれど、その想定を作ったメンバーの半分以上は電力会社の人なわけです。じゃあ、最初の想定はきちんと作ったのかと言うと、それは眉唾ですという話になってしまった。そういうことをしっかりとしてこなかった責任というのは、みんなにあるのかなと。特に政治がそれを許してきたことは反省して、ここからちゃんとやらなければいけないと思います。

小林 そうですね。
河野 風評は、やっぱり相当効いていきますね。国際企業に勤める知り合いに「落ち着いたから飯でも食う?」って連絡したら、「いや僕は今、香港なんだよ」と言われて(笑)。「いつからいないの?」と聞いたら、「2週間前」と。そうやって、だんだん人間が逃げていっている。アジア経済の中心が東京です、と言っていたのが、実は今、東京はアジア経済の中の単なる一地方になりつつあるかもしれない。

小林 そうですね。

河野 それをさせないためには、やっぱりちゃんとした情報を出して、安全だと言えば信じてもらえる状況を作らなければならないと思うんですよ。

小林 IAEAも基本的には原子力のことは悪くは言わないでしょうけれども。レベル7は、どちらかというと高すぎると言っているんですよね?

河野 ただ、IAEAを入れるということは、世界中の原子力の関係者が入ってくるということです。みんな関係者だから、なるべく抑えようとするかもしれないけれども、ただ、そういうことがばれたら一斉に信用を失うわけですから。
そこは、「日本政府の信頼がないから、IAEAを入れたんです」と言えばいいわけです。そこの信頼が狂ってしまったら、原子力は多分もう全世界でやれなくなってしまうので。

小林 そうですよね。この間、フランスのサルコジさんが来たときにも、メディアでは「原子力を普及させにやってきた」と言う人もいたけれど、決してそういう風なものではなくて「地震国としての部分はどうなのかということを世界的な基準として考えていかなければいけない」という発言のように僕には思えたんですけれど。

河野 いや、フランスはあれで稼ごうと思ってますから......。

小林 そうですか。

河野 やっぱりちゃんと手当をしてくれないと、それからみんなが一気に原発を止めるということになっても困るので。G8やG20で何が安全なのかという議論もしよう、という説得に来たんですね、多分。
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細かい数字ではなく、大きな方向性を示すことが政治の責任

小林 今も政府の話が出ていましたけれど、福島原発が建設されたのが40年くらい前ということなので、基本的に原子力政策というのは河野さんがいらっしゃる自民党が作ってきた、ということがあると思うんですが。河野さんは、自民党に所属されながら、ずっと原子力に対しては懐疑的な態度をとられていますよね。率直な話、なぜ自民党にいらっしゃるんでしょうか?自民党として、これから河野さんがどういうことをやろうとしているのかということを、特に原子力に関してお聞きしたいんですけれど。

河野 原子力に関しては、自民党は東電、経産省との癒着がありますよね。しかし逆に、野党も労働組合から票をもらっていたので、電力政策やエネルギー政策については自民党の言っていることに正面をきって反対はしてこなかった。結局、与党も野党も一緒なんですよ。もちろん、共産党や一部の社民党の人みたいに、原発に反対をしてきた人はいました。けれど、リアリティのあるかたちで「必要だけれども、ちゃんとマネージしよう」と言ってきた人はほとんどいないんです。
小林 なるほど。

河野 それからメディアも広告宣伝費をこれだけもらっていて、しかも電力関係の人たちというのは細かいことまで揚げ足をとるから、みんな報道するのもいやになっちゃうんですよね。大枠の戦略がどうなんだ、という議論や報道をしているつもりが「数字がひとつ違うじゃないか」というところで、目くじらをたててぎゃあぎゃあ言ってくるから。

小林 その場合の数字というのは?

河野 年号や何キロワットか、というような細かい数字を「それは違うだろ!」と電力会社や電事連が言ってくる。あるいはその電力会社の取り巻きのジャーナリストと称する人が言ってきて、その対応をするのが本当に面倒くさいと、みんな口を揃えて言うわけですよね。だから誰も、この政策がおかしいと言えなかった。もともと1970年に原発がスタートするときには「30年後に高速増殖炉ができます」と言っていたんです。
高速増殖炉というのは、プルトニウムを入れると、その量よりも余計にプルトニウムが出てきて、しかも発電が出来るという仕組みです。「これで、日本のエネルギーは1000年持ちます」と言っていたけれど、2000年になった今も高速増殖炉は影も形もありません。今では「2050年には出来るかもしれないけれど、それより前には出来ませんよ」と言っているんです。2050年になったら、「2100年くらいですね」ということになるかもしれない(笑)。日本のエネルギー政策というのは、ずっと高速増殖炉が核なんですね。けれど、その高速増殖炉は完成せず、プロトタイプのもんじゅは未だに止まっている状況で、プルトニウムは40トンから50トン持っている。北朝鮮が50キロ持っていて大騒ぎしているのに、日本は50トンも持っていてしらばっくれているんですよ。

小林 しらばっくれているんですか。
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河野 自民党のエネルギー族と呼ばれている人たちは「高速増殖炉ができない代わりに、今はプルトニウム1割にウラン9割を混ぜたプルサーマルを使っています。これはウラン燃料の再利用です」と言っているんですよね。でも、プルサーマルはウランを1割しか削減できないわけだから、そこに何兆円もかけるのならオーストラリアのウラン鉱山を買ってしまった方が安いじゃないか、と。つまり、支離滅裂で辻褄がまったく合わないんですよ。最初の資料を見ればプルサーマルのプの字もないし、高速増殖炉としか書いてないのに、「プルサーマルが核燃料サイクルなんだ。最初からそれは二本立てだった」と言っているんです。それから「核のゴミはどうするのですか?」と聞くと、「使用済み核燃料も、プルトニウムを取り出した後の高レベル放射性廃棄物でも、200~300年間地面に埋めて管理して、そこから先は竪穴を塞いで人間社会から隔絶させます」と言っているわけです。今から300年前というと、赤穂浪士の討ち入りのころの話ですよ。
小林 ははは(笑)。

河野 神戸や新潟、そして今回、東日本で地震が起き、東海や関東も地震がくるかもしれないと言っているときに、そんなものを何百年も埋められる安全な場所が、日本国内のどこにあるのかという話です。仮に地震が来なくても、火山や地下水の問題もありますから、狭い日本で、こんなものを処理できるところは見つからないと思うんですよ。そういうおかしな話がいっぱいあるのに、「今探しているんだ。探せば見つかる、見つかるまで探すんだ」と言って、全く合理的な説明ができていないんです。それを自民党が推進し野党が容認し、メディアは黙っていた、という構造になってしまっている。自民党がここで本気で政策転換をしないと、次の選挙で「自民党で今までエネルギー政策をやってたやつは落とせ」ということになると思うんですよね。逆に政策転換できないならば、そういう人間は政治の場から外さなければならない。

小林 うん。

河野 そして、どうして自民党にいるのかという話ですが、野党は労働組合から票をもらっているから声高に政策を批判している人もいません。ならば、エネルギー政策のことだけで社民党や共産党に行くか、というとそれも違う。ならば自民党も民主党も、中堅若手の違う世代でこれまでの間違いを認めて、政策転換をきちっとするべきだと思うんです。
小林 そうですね。二項対立ではなく、お互いの良い点、悪い点を含めて一緒に考えよう、ということになって欲しいと、僕もすごく思うんです。

河野 これは「今後100年に渡って、エネルギーの問題をどうするのか」という話なので、政権交代のたびに原発に火を入れたり止めたりするわけにはいかないわけです。だから、与野党で合意して進めていかなくてはならないことなんですね。

小林 なるほど。でも、再び自民党政権になったら、またすっかり元の動きになってしまうのではないかという不安もあります。

河野 それはね、国民が許さないと思うんですよ。

小林 こうして福島原発の問題が起きている中でも「原子力がなければ、やっぱりダメなんでしょう?」という声があると思うんです。 とにかくメディアからの擦り込みがずっと続いているから、メディアの向こう側にある企業が作る色々なものを国民が豊かさとして受け取って、そこから外れると豊かではなくなるという思いがあると思うんですよ。今、原子力に対するアレルギーは確かにありますけれども、結局喉元過ぎたら、ということにならないために、僕らが今享受している豊かさに取って代わるもの、つまりその生きる指針というか、世界観みたいなものが見えてこないといけないと思うんです。
河野 京都会議のときに僕らが色々な仲間と作ったプランに、飯田さんがかなり数字の裏打ちをつけてくれたから「ほら、僕の言っている通りじゃないか」と(笑)。飯田さんの言っていることの可能性は、極めて高いと思います。でもそうすると、また電力会社が来て、ああだこうだ言うわけですよ。けれど、細かい話ではなくて、こっちへ行く、という政治の意志を出しているわけだから。

小林 そうですよね。

河野 それが、85%になるのか93%になるのか分からない。けれど、旗を振って「こっちへ行くぞ」と言うのが政治の責任で、少なくとも「2050年には自然エネルギー100%を目指す」というのは、ケネディが「月へ人間を送るぞ」と言ったのと同じ話なんです。あれは、10年で送ると言っていたのがもっと早くできたわけで、エネルギーの転換も早くできるかもしれないし。でも、そういう号令をかけないでネチネチとつまらない数字の計算をして「これじゃ足りません」みたいなことを言っていたら、そうはならないわけだから。

自分で責任を取ることが、民主主義の最大のルール

小林 でも、今はそれが政党政治になっていて。かなりの人が、民主も自民もどっちもどっちと思っていると思うんですよ。そして、「送電線を電力会社が持っていて、普通の道路みたいなところを通るものを全部電力会社が管理していた」ということを知らない人も本当にたくさんいますし。そういう意味では、エネルギーに関してはマスクされていて、ある種独裁政治のような中で生きていたことに、今回色々な人たちが気付きだしたと思うんですよ。 「自分たちでエネルギーを選べるのか」ということが、今回僕がやっている対談の主旨にあるんですけれど。ただ、日本の国民は僕らも含めて勝ち取ってきた民主主義ではないから、どうも「下々の者は知らなくていい」ということを続けてきた歴史がある。今回のことをきっかけに、変わっていくことができるのか。この震災の向こう側に唯一の希望があるとしたら、それは僕らが目覚めていくことだと思っているんです。

河野 日本は民主主義だから、国会にいる政治家というのは、国民が選んでいるわけです。

小林 まぁ、かたちはそうですが。
緊急会議 河野太郎×小林武史(1)「一人ひとりが行動し、選択する社会へ」
河野 かたちじゃなくて、実際にそうなんですよ。そうすると、今後のエネルギー政策は転換しなくてはいけないと思ったら、地元の国会議員に「エネルギー政策をどう思っているのか、原子力を続けていこうと思っているのか、発電と送電を分けることに賛成なのか」と聞いて、回答によって支持するかどうかを決める。「自民党も民主党もそうじゃないのならば、私が出ます」というのが、民主主義なんです。

小林 基本はね。

河野 基本もなにも、それしかないんですよ。だから、それをみんなが厭わずにやれば、必ず変わるわけです。民主主義とは、そういうものじゃないですか。道具は持っているんだから、あとは道具を使うかどうか。それを東京電力は、お金を配ったり票を配ったりしながらせっせとやってきたわけですよ。

小林 でも、長い政党政治の歴史の中で「なんだか変わらないな」という思いが、みんなの中にあると思うんです。 河野 「変わらないな」じゃなくて、選挙で選ぶわけだから「変えなかったな」ということなんです。
河野 それは、確かにそうですね。

河野 それで変わらないと思ったら、変えなきゃダメなんじゃないですか。それは、逆に主権者なんだから、国民が一票を投じることによって変わるわけですよ。

小林 でも結局、都知事は石原さんになったわけじゃないですか。

河野 都知事に投票した人は、別に原発のコメントだけで選んでいるわけではないから。

小林 もちろんそうだと思います。でも相当の人が、ここを転機にできないかと考えていると思うんですよ。この道具やシステムを使って変えていくしかないんだ、ということが正論なのは分かるんですが。

河野 だって、民主国家は他に方法はないでしょ。

小林 でもね、僕は政治学のことを勉強しているわけではないけれど。例えば「与党と野党が代わって、与党になったら決めていける政策」との距離が、国民からかなり遠いんですよね。
だからエネルギーのことも実情を知らされなかった。おそらく国民は、原子力のことを選んできたという自覚が、歴史的にもないんですよ。例えば、河野さんが新しい政党を作って、新しい流れを考えていくというふうには考えていないんですか?

河野 いや、だから新しい政党を作ろうが作るまいが、選ぶのは国民ですから。別に新しい政党だろうが、自民、民主に分かれていようが、良いと思う政治家を選んでいけばいいんです。要するに、人頼みじゃだめなんですよ。民主国家というのは、自分が何かしなくては変わらないのだから。つまり、みんなが動けば変わるんです。

小林 投票でね。

河野 そう。それに、普段からそういう世論を作っていく、あるいは「原発を止めなくちゃいけない」と思ったら、行って運動すればいいわけですから。 民主主義というのは、自分で責任を取らなくちゃいけないというのが最大のルールだから。

小林 そうですね、それは本当にそうだと思います。
緊急会議 河野太郎×小林武史(1)「一人ひとりが行動し、選択する社会へ」
河野 それを「誰かやってくれないのか」と怒ってみてもダメで。「みんなで動いて、政策を変えさせようぜ」ということにならないといけないんです。今まではテレビをコントロールされたら、情報はこなかったけれど、今やインターネットがあるわけですから。みんなが情報を出せるんですよ。昔は、印刷技術がないころには写本しかなくて、本の値段がものすごく高かった。だから、一般の人は本を読めないので、知識が限られたところにしかなかったですよね。それが、印刷機ができたことによって、みんなが本を読めるようになって、知識を持てるようになりました。そして今度は、インターネットでみんなが情報を発信できるように変わってきています。そうすると、テレビ局が電力会社からコマーシャルをもらっているから、とマズい情報を隠そうとしたとしても、インターネットで出ればみんなが知ることができるわけです。非常に民主主義向きの世の中になっているとは思いますよ。

小林 それは、僕もそう思います。
河野太郎
河野太郎
自民党 衆議院議員。

ジョージタウン大学を卒業後、富士ゼロックス、日本端子での勤務を経て、1996年に第41回衆議院総選挙にて神奈川第15区で初当選。2002年総務大臣政務官、2005年法務副大臣、2008年に衆議院外務委員会委員長を歴任。現在は、決算行政監視委員会理事、自由民主党のシャドウ・キャビネット行政刷新・公務員制度改革担当大臣などを務める。主な著書に、『変われない組織は亡びる』(二宮清純との共著/祥伝社)、『私が自民党を立て直す』(洋泉社)など。

河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/

(撮影・取材・文/編集部)

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