エコレゾウェブ

top » 小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)

小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)

小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)

原子力工学を研究しながらも反原発を唱えてきた小出裕章先生のもとに小林武史が出向いたのは、福島第一原発事故の混乱状態がピークであった4月末のこと。それから今日までふたりは対話を重ね、交流を深めてきた。そして2011年が終わりを告げようとする12月12日、小林は変わらぬ想いを胸に再び京都大学を訪れた。

updata:2011.12.23

生き物として反応することを繋いでいく

人が営みを作って循環する方法へのシフト

小林 今、食の話が出ましたけれど。50禁、60禁のように、年齢に応じて食べていいものや悪いものを決めるべきだ、と小出さんは以前もおっしゃっていました。多分、お考えが変わっていることはないと思いますが、東北の食の振興を考えると、例えば政府が出している暫定の基準値に、あまり目くじらを立てないというか顕微鏡で覗くようなやり方ではなくてね。東北の農家の人たちを勇気づけようというムードが、僕らのまわりでボランティア的に頑張っている人たちの中にも出てきているんですね。経済も絡んでいるから、それを徹底的に調べていくにはコストがかかるだろう、と。僕はそういう立場ももちろん分からないわけではないのですが、確証がどう影響していくのかが分かりにくいものなんですよね。
一方では、そうやっていい加減に済ませることをやめて、きちんと測定していく。何が正しい測定なのか、完璧というものがどこにあるのか、ということが分かりづらいのが、放射能の難しさだと思いますけれど。 食べものというのは、そうやっているうちに腐っていってしまうようなものでもあるし。 僕らap bankとしては測定器を買って、自分たちのおこなっている食のプロジェクトでも使うし、一般的にもそれを貸し出したり、場合によっては使う技術者も含めて派遣します、ということをやろうかなと思っているんですよ。どちらが正しいかということではなくてね。調べていくということに対して、そういうセンシティブな部分を切り捨てることはしないでやっていこうと思っているんです。
小出 ありがとうございます。今、国や東京電力がやろうとしていることは、暫定基準値を決めて、それを超えているものは市場に出回らせないし、下回っているものは元々危険がないから安心しろというわけですよね。でも私は「冗談を言うな」と思うんです。1キロあたり500ベクレルがお米の暫定基準値ですけれども、じゃあ、499ベクレルは安全なのか?と言ったら、もちろんそんなことはないわけですよね。だから彼らがやろうとしていることは、汚染の実態を隠したまま国民に「安心しろ」と言う戦術なんです。でも、一番大切なことは、汚染の実態を知ることなんですね。 とにかく、どういう食べものがどれだけ汚れているかをきちんと知らなければ、子どもを守ることすらできない。
小出 先程も聞いていただいたように、この汚染というものは、東京電力のれっきとした所有物が汚染したことによって生じているわけですから、東京電力が自分の所有物をどこにどれだけばらまいたかを測定して人々に知らせる、という責任があると私は思っています。

小林 なるほど。

小出 小林さんたちが測定器を購入して人材も含めてやろうとしてくださるように、あちらこちらでそういう動きが立ち上がって人々が自衛しようとしているわけですよね。 それはこんな国の中では仕方ないことだと思うし、やってもらえるのは大変ありがたいと思うけれど、でも本当は違うと私は思うんです。もし東京電力がそれで倒産しようと、彼らに測定器を買わせて人材を配置させるべきです。それをどうしてみなさんが求めないのだろう、と思います。
小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)
小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)
小林 そうなんですよね。小出さんと話していると、どんどん僕が話したい方向に流れていくから「ところで」という必要が全くないんですけれど(笑)。東京電力に対しての僕達国民の想いというものが、なにか今、途切れてしまっていて。あれだけ送発電分離といわれて、再生エネルギー法案やそれに代替するような話もでてきて、「エネルギーを安定供給でやるんだ」ということに対して「そうじゃないんだ、僕達がエネルギーを自治していく心を持って、つまりエネルギーを分権してみんなで管理していこうよ」という気運が高まった、もしくは絶対的に東京電力が独り占めしたから起きた問題だということがこれだけ露呈したはずなのに。 今、小出さんがおっしゃっていたこと、僕もちょっと抜けていました。そうか、測定器は東京電力がやるべきですよね。自分がばらまいたことなんだから。

小出 そうですよ(笑)。
小林 検査はやっぱりやってほしいですよね。そういうことも声が出なくなって、汚染物質は格納容器の下にあるかもしれないとか、津波による影響だけで地震は大丈夫だったんだ、みたいな発言が出てくるじゃないですか。どういう意味かといえば、「地震大国といえど、大丈夫なんじゃないかな」ということを暗に言おうとしているというのが明らかなんですよね。

小出 そうですよね。

小林 冗談じゃないよ、と。東京電力の経営者がどうこうということもありますが、電力の安定供給という名の下に作ってきたシステムにみんなが依存してしまったことが、今回の事故の大きな要因だと思います。
みんなでこのシステムを解体していこうという方向になる必要があると思うし、そのことに多くの人が気づいているはずなのに、一切動かないのは何故なんでしょう? それはこの国の経済と政治が塊になっている、というところなんですかね。

小出 それは先程から小林さんが解説してくれている通りなんだと思いますし、経済の構造が出来てしまって政治も経済界もずっとその利権にぶら下がってきたわけだし。 それをただちに取っ払うことが彼らにはできない、ということなんでしょうね。

小林 置き換えていくだけで、決してそのパイが縮小するわけではないのでね。
小出さんがおっしゃっているように、エネルギーに依存ばかりしている社会に問題があるとは思いますけれど、そのやり方のパイを変えていって、人がちゃんと営みを作って循環していくやり方があるはずですよね。また元の木阿弥になるのがいちばんいけないと思います。

小出 そう思います。でもこの国、そして経済界の指導者たちはそうは思わないようなんですね。原子力がなければ経済がシュリンクしてしまって、雇用だって守れないぞと脅かしをかけるわけですし。労働組合もそれに引きずられて「原子力だ!」といまだに言い続けるような、そういう国なんですよね。

脱原発を「限られた人がやっていること」にしない

小林 我々は命を授かった生き物として、色々なことに反応して生きていけるはずなのに、どんどんその反応が退化してしまっている。言いくるめられるというか、半ば諦めて生きていかなければいけなくて、生きることがあまり楽しいと感じられなくなっている人も多いかもしれない。なのに、また同じことが起こるということになりそうでね。

小出 そうですよね。

小林 ただね、例えばこういう会議をもっとたくさんの人とおこなって、僕や小出さんがツボにはまったような意見を言ったときに「そうだ!」と手を挙げるのは、大抵決まった人たちなんですよね。 昔からある種の政治集会や原子力に取り組んできたような。そういう人たちが悪いわけではないのですが、そういうやり方に「またやってるよ」と思ってしまう人たちも、たぶんいるんですよね。
小出 はい。でもそういう意味では小林さんのようなプロデューサーの人たちが音楽を通じて訴える、という手段があるわけじゃないですか。私なんかは本当に原子力のテクニカルなことしか発言できないし、たぶん皆さんが私の意見を聞いてくれるのもそういうことがあるのだと思いますが。

小林 いやいや、ちょっと違いますね。こういう言葉を使うとあれですが、小出さんは決して学者バカじゃないでしょう(笑)?  生きていくには、化学も哲学も宗教的なことも、いろいろなことがある、という考え方が小出さんの中にはあるじゃないですか。だから小出さんも、みんなで「そうだ!」と言っていればなんとかなる、とは思われていないと思うんですよ。僕や小出さんのように、生き物としてちゃんと反応することを繋いでいくというか、言葉で攻撃するだけではなくて実感のようなものをうまく伝えていくことが必要だと思うんですよね。
それは音楽に限らないと思うんです。僕は前々から思っているのですが、小出さんと話している事自体に魅力みたいなものがあるから(笑)。そういうことって、すごく大事なことなんですよ。

小出 小林さんが私のことを評価してくれるのはとてもうれしいけれど。小林さんだっていわゆる音楽の世界の人間としてはかなり特殊じゃないですか。僕はあまり知らないけれど、きっと音楽の世界にもそれなりの支配構造というものがあって、言いたいこともストレートには言えないという人たちだっているでしょうしね。商業主義的な曲を作っていればお金になるという人たちだって、きっといると思うんです。でも、それだけではやっぱり困りますし、小林さんみたいに発信を続けてくれる人というのはとても貴重で、うれしいと思います。
小林 分かってはいたけれど、結局やっぱり凝り固まってきているなという印象がありますし、来年あたりになると気持ちとしては残っていても「脱原発」ということを言い続けることに疲れみたいなものが出てしまうんじゃないかなと思います。もっと僕らがどう生きていくべきなのかということに、魅力を感じてもらってね。自分たちが色々なことを知って感じて生きていくためには、エネルギーも食も必要だし、そういうものを自分たちが楽しんで選択できる方向に持っていくことが大事だと思うんですよね。

小出 本当にそうです。

小林 難しいけれど素晴らしいこともたくさんあるから。そういうことをちゃんと繋いで、もっとこうしていこうよ、というアプローチはいろいろとできると思うので。具体的なメッセージを据えなくてもね。宮台真司さんが面白い言い方をしていて、「この世界は借り物なんだから」と。例えば音楽の中に、僕が思う世界を描いて発表することがすごく大事なんですよと。

小出 いいですね。
小林 そうなんです。こういうものじゃなければ、としがみついてしまうのではなくて、僕にとっての命の全うの仕方をやることが大事なんだよなと、つくづく思っているんです。もちろん「そうだ!」と手を挙げる脱原発の人たちにも、ものすごい決意でやられている人がたくさんいますから頭がさがる思いもありますし、そういう人たちと手を組むことも当然なんですけれど。要するに世間で「限られた人達がやっていること」と言われないようにしなければいけない、と思っています。脱原発、という言葉のいかついところから入るのではなくて、もうちょっと柔らかくやっていくためにも僕がいろいろと繋ぎますから。小出さん、来年以降ぜひ何かやりましょうよ。

小出 はい。僕は、小林さんの力に期待していますので(笑)。

小林 ありがとうございます(笑)。どうぞよろしくお願いします。
小出裕章×小林武史 「未来は、私たちの手にかかっている」(2)
小出裕章
小出裕章
京都大学原子炉実験所助教

1949年生まれ。東北大学原子核工学科 卒、同大学院修了。74年から京都大学原子炉実験所助教を務める。原子力工学者として研究していく過程で、原子力発電反対の立場となる。以来、原子力をやめることに役立つ研究を続け、著書、講演を通じて反原発を主張している。著書に『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社)『隠される原子力・核の真実 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社)、共著に『原子力と共存できるか』(かもがわ出版)ほか。福島原発事故後の書き下ろしに『原発のウソ』(扶桑社)、『原発はいらない』(幻冬舎)がある。

(撮影・取材・構成/編集部)

DIALOGUE ARCHIVES