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湯川れい子×小林武史 「日本にはまだ再生の感性がある」(2)

湯川れい子×小林武史 「日本にはまだ再生の感性がある」(2)

音楽評論家、作詞家としての活躍に留まらず、環境問題や社会問題にも深い見識を持つ湯川れい子さん。女性ならではのしなやかな目線の先には、生命と自然、そして音楽との、目には見えない強い繋がりがあった。

updata:2011.10.31

自然との調和と循環の中で生きる

依存を自然観に対して持っている日本人

小林 津波での街づくりもそうですけれど、なかなか復興のプランが見つからない。僕は、政治家や一国の首相が、もっと自分の哲学や思想、この社会がどちらにいくべきか、ということに裏付けられた意見を述べてくれてもいいんだろうな、と最近思うようになったんですが。でも日本というのは、バランスを取ることに躍起になっているような気もするんです。

湯川 それと、たぶん大統領制じゃないから。

小林 それも大きいですよね。政治自体のシステムが古くなっていて相当問題がある。もっと変えていかなくてはならないのでしょうけれど、やはり敗戦のときの問題で、色々な意味で憲法というところに鍵がかけられているから。この鍵を外すのはすごく難しいし、外した途端に、外から様々なかたちで言われるだろうし。すごく矛盾を孕んだところに僕たちはいますけれど、この数十年でインターネットがこれだけ世界を駆け巡るようになり、情報も随分発達してきて相当のことを知ることができるようになった。
だから喉元過ぎたら安直に、ということになかなかなりにくい。今回の問題が起きても、また海辺で暮らしだすことをしないじゃないですか。

湯川 実際問題として、今は出来ませんよね。

小林 資本主義という考え方が世界を引っ張り、牛耳ってきてしまったことをどうするのか。これはどこまでいっても、変わらない人間のしょうがない部分はあるのでしょうけれども。だから、そのぶん苦しいと思うし、簡単に気持ちを切り替えることはなかなかできないと思いますが、放射能のこともまさに世界レベルになってしまっているし。明確なことはわからないし、みんなが発病するわけではないのだから、という気持ちも当然あると思います。でも、そもそも僕らが判断できないレベルに手を突っ込んでしまったのが全ての事故の原因だからこそ、僕らはこれから相当時間をかけて、考えて、行動して、微調整したり改めたりする期間が来るんだと思うんですよね。恐らくどう楽観的に考えても、経済がまたドンと来て、日本国民が
「雇用が一番だしね、技術は犠牲が伴うものだからさ」「そうだね」とは、恐らくならないですよ。

湯川 そうなったら、もう人類は終わりでしょうね。

小林 終わりですよ。でも、女性は特に生命をリレーしていくというところにいて、生理的にも感覚的にも拒否感がすごく強いと思うんです。そこで、横にいる男たちが説得できる材料は、しいて言えば「雇用はどうするのよ」ということで。

湯川 「明日食えねえじゃねぇか」というのが一番大きいし、「子どもの生命があってもなくても、学校に行く金はどうするんだよ」とかね。ステレオタイプで考えるのは間違いかもしれないけれど、男の人は何千年、何万年と、メスと子どものため、部族のため、つまりサル山のサルのために餌を獲得してくるというDNAしか与えられていないのよね。

小林 そうです。それしか与えられていないですからね(笑)。
湯川 悲しいことにオスは戦うDNAしか与えられていないんです。だから男の子は、そういうところでしか存在価値を見つけられない。ヒーローが生まれてくるときは、やはり戦うときなんですね。でも企業戦士も破綻した今、ヒーローのいない社会で生きる男の子たちは、自分のことしか考えられなくなって、自分より弱いものに攻撃が向いていくような、どこまでも内向的な人間になってしまう。年間3万人の自殺者やニートが出てしまうのは、平和の弊害なのかもしれないわけです。そういう時代に、90日間も保存できる牛乳が当たり前になり、湾岸に建った高層マンションに次々と若い夫婦が住むようになって。「羽もないのにあんなに高いところで子どもを育てるの?」と聞いたら、「でも下にいい保育園と、コンビニがありますから」と言われたときには絶句したんですけれど。ならば、エレベーターが止まったり、電気がなくなったらどうするの? 人という翼のない動物が、子育てできる場所じゃないじゃないですか。
湯川れい子×小林武史 「日本にはまだ再生の感性がある」(2)
小林 そうかもしれないですね。

湯川 365日、オール電化で自動的に調節された生活を好む若い人がたくさん出てきているんですね。そういうのを見ていると、「ここまで生命として退化したのかな、これは終わりだな」という思いがすごくあったんです。でもね、マイケル・ジャクソンは「日本人は同じ目線の高さで、決して大きな声ではなく、話をしてくれるから好きです」と言って、何度も来日してくれましたし、ポリスのスティングが今から2、3年ほど前に、ブラジルのアマゾンに住むカヤポ族のラオーニさんという方を連れて「建築用のコンパネなどのために、熱帯林の木を伐らないでください」と日本まで来たことがあって。そのラオーニさんが、もう90歳を過ぎた方なのですが、2年ほど前に私の家にも来てくださって。その大長老が「僕は世界中で熱帯雨林を伐らないで、と訴えてきたけれど、日本ほどすべての木や生き物に、等しく同じようなスピリットを認めて、自然と最先端の科学とが共生している素晴らしい国はほかにない」
とおっしゃって、私はすごく嬉しかったんです。日本人は、有り難いことにまだ動物的な感覚をなくしきってはいないのね。だって、お正月に除夜の鐘が鳴ると同時に100万人近い人がお参りにいく国なんてないでしょう。なぜ原宿の最先端のかわいいファッションの街にある神社にカップルが行くの? 手を叩いて、何を感じているの? それは私たちを生かしてくれている大自然を感じている。日本人は私たちの生命を司ってくれている"日月火水木金土"をちゃんと感じて生きているんです。だから私、日本にはまだまだ再生の感性はあると思っているの。

小林 僕もそれはあると信じたいですね。例えば宮台真司さんは、日本の依存体質のことをすごく厳しく言うんです。とにかく、「脱依存」しなくてはいけないと。依存には理由があるし、湯川さんも日本の音楽の質の低下についても、もっとお話していかなくてはいけない部分もあると思いますけれど。
湯川 ああ、それはありますね。

小林 「依存する」ことが消費に繋がるために、分かりやすい均一化したものをパクパク食べることに普通になってしまって。経済にとっては、そこそこのものを食べてくれた方が効率がよいわけですから。そうしていくと、どんどんと当たり前への依存が生まれてくるし。自分たちが生きていくことへの反応が、退化していくところもあるのでね。そういう意味での依存をどうやって変えていくのか、という考え方は僕も宮台さんと一緒なのですが、その向こう側で日本人はもともと、依存というものを自然観に対して持っていたんだ、とつくづく思うんですよ。

湯川 はい、そうなんですよね。

小林 日本は、歴史的にも戦って勝ち得てきた民主主義ではないから、アメリカからやってきた豊かさという価値観を「なるほど」と、受け入れてきて。
湯川れい子×小林武史 「日本にはまだ再生の感性がある」(2)
家族単位とか、種をリレーしていくという意味では素敵そうなことも色々とあったし、昔の日本のような男が強い社会から変わっていった方がいいのかもしれない、と思ってしまったこともあると思うんです。だから、依存がちょっと間違った方向にいって、いわゆる経済合理性や効率にどっぷりと浸かってしまった。それは雇用を失う恐怖と共にきたのだろうと思うのですが。それでも、僕たち人間が中心なのではなくて、自然の中で生かされているのだ、という思いは、どこかに残っていますよね。

湯川 他のいのちを頂いて「いただきます」と言うように、自然との調和と循環のなかで生きているという感覚は、まだ根底にありますよね。「お任せ」も、「お上に任せておけば大丈夫だろう」というもので。でも結局、お上は自分たちが選んだものでロクなものではなかった、ということに気がついたのが、ここ15年や20年の政治不信なのだろうと。今、まさにどうするのかを突きつけられているのだと思います。

音楽は生命の根幹と繋がっている

湯川れい子×小林武史 「日本にはまだ再生の感性がある」(2)
小林 さきほど「男は戦うDNAしか与えられていない」とおっしゃっていて、なかなか男としては耳の痛いところでもあるんですが(笑)。一方で、僕は最近、音楽をもう一度自分のなかで呼び覚ましているところもあるんです。今までMr.Childrenは、ポップやロック、クラシックやジャズといったものも含めて複合型の、まさに日本の洋食みたいな独自のものを作ってきたとは思うんですけれどね。でも最近、演奏していてつくづく思うのは、男が持っている身体性や、感覚的には戦いみたいなところに向かっていく集中力、空間やこの先を読んでいく力を総結集してショーに込めていくということ。もしくは今回の3.11でもそうですけれど、男が何人か集まってビートをやるときに、「わっ」と言うだけではなくて、楽しんでもらって五感に響かせる示し方というものもあるのだな、ということも感じているんです。
湯川 それは、すごく大事なことだと思います。DNAに刷り込まれているというか、そう作られているのだから。男の人の集中力や牽引力や統率力や瞬発力というのは、女にはないものなんです。その代わり、女はその場所から根っこごと引っこ抜いても、また別のところで根を生やす。子どもが安全なところに移り住む、という男の人にはない環境への順応性を持っていますし。こういうときだからこそ、「ヒトラーみたいな危険な人が出てくるのではないか」とか、「リーダーシップをとれるカリスマが出てくると、みんなそっちに行ってしまうのではないか」とよく言われますが、そういう人を待ち望んでいるんですよ。それが、間違った方向にいってくださらなければ良いわけで。さっきのスティングやマイケル・ジャクソンにしても、非常に右脳的な感性、ある意味バランスのとれた女性性や自然に対する感性が鋭いんですね。それこそが、音楽が本質的にもっているものだと思うの。
湯川 お母さんの心臓の倍の速さで赤ちゃんの心臓が動き始めたときから、お母さんの心臓とシンクロしながら赤ちゃんは育ちます。そしてやがて生まれて、自分の心臓で生きていくようになる。それがその人の基本リズムをずっと司っていて、14歳くらいになって親から離れていくときに、ロックのような他動的に与えられる強いビートに反応するのは、そこで初めて自分の心臓だけで自立していくからなんだそうです。外から一定のリズムを与えられることで、その人の基本リズムが整う。音楽には、定常性が整い、ホメオスタシスが整って、ホルモンなどの色々なバランスが整うという力があります。だから南妙法蓮華経といった声明や、一番疲れている時期に盆踊りや阿波おどりがあるんですね。リズムを与えられることで元気をチャージしてもらっているんですよね。それが音楽の基本的なところにある、生命そのものの根幹との繋がりだと私は思うのですけれど。1966年にビートルズが来たときに、「あんな百害あって一利ないようなエレキに外貨を使うな」とか「武道館を貸すな」というようなことが世の中の大人たちから社会的なメッセージとして出て。そのときに、絶対におかしいと思っても反論できなかった。
それで、やがて音楽療法というものに出会って勉強するようになって「あぁ、こういうものだったのね」と解ったんです。不協和音や破壊音ではない、ハーモニーと一定のリズムを持った音楽には、「みんな楽しく生きようね」「元気になれよ」という根本的なメッセージがあると。それは、すごく正しい方向づけだと思うのよね。小林さんも、Mr.Childrenやみなさんと集まって、言葉なんて何も言わなくても、お祭りでいいんですよ。落ち込んで先が見えないよりも、ここで一緒に踊って歌って、共感して共鳴して。先程、音楽の話がでましたが、今はパッケージとしてのCDが売れなければ原資もないですから、次の音楽を作ることができない。ましてダウンロードなど今の配信のシステムはもっと安い。そこでは元を取ることができませんからね。でも、そういう方向にいくのであれば、それはそれでいいじゃないかと思うんです。そんななかで本物の音楽が生き残っていくためには、やっぱりライブしか無い、と。今回も、震災でこれだけ全部が流されて、コンサートホールもなくなってしまって、それでも、ギター1本抱えて飛び出して歌っている人たちが沢山いるんです。
その人たちを見ていると、みなさん1970、80年代に活動してきた人たちなんですね。

小林 そうですか。

湯川 例えば中川五郎さんなども、ギター1本でずっと歩いている。そういう人たちは今、ちゃんと生き残っていて、北海道から沖縄まで500か所もライブをする場所があって。そういうのを見ていると、やっぱり本当の音楽は死なないんだなって思うんです。いいものがあれば、人がちゃんと集まってきて。そこで手土産でも記録でもいいからお客さんに持って帰ってもらうために、CDがあればいいじゃないかと。


小林 本当にそうですよね。

湯川 一方にはホッピーみたいな安く酔える音楽もあるけれど、こっちにはヴィンテージのブランデーもあるんだぞ、と。それでいいんじゃないのかしら?

小林 なるほど。
湯川れい子
湯川れい子
音楽評論・作詞家

昭和35年、ジャズ専門誌「スウィング・ジャーナル」への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。ラジオのDJ、また早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点によるポップスの評論・解説を手がけ、世に国内外の音楽シーンを紹介し続ける。講演会、テレビでの審査員、コメンテーターとしても活躍中。作詞のヒットメーカーでもある。近年ではボランティア活動に注力し、地球環境問題をグローバルに考える「RAINBOW NETWORK」の代表なども務めている。
http://www.rainbow-network.com/

(撮影・取材・構成/編集部)

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