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宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)

宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)

対談当日、折しも世間は菅首相の退陣表明と内閣不信任案で騒然としていた日。そんななかお出でいただいた社会学者の宮台真司さんは、のっけから熱く、静かに、語りはじめた。「政局」から「人の尊厳」にまでおよぶテーマの、濃密な2時間半のダイアローグだ。(対談日:2011年6月2日)

updata:2011.07.14

「便利」「快適」よりも深いところに、「幸福」「尊厳」という概念を

昭和の歩みと原子力

小林 1950年くらいまで戦後いくつかいろんなことがあって、その時期に原子力の問題でいうと第五福竜丸事件があって、原子力の平和利用という考え方がやってきて、正力松太郎の原子力推進キャンペーンみたいなのがあって、ちょうどアメリカが提案する未来、まあそのへんから大阪万博あたりまでずっとこう行くじゃないですか。で、「万博以降」ってよく言われますよね。オタクとかそういう起源でいっても、そのあとみんなが潜り出すってことも言われますけど、そのあたりを宮台さんにいろいろ聞いてみたいんですけど。

宮台 50年代の原子力の平和利用の流れが誤りだったという左翼の議論があり、最近でも村上春樹がそう言っていますが、それは「後知恵」であって、当時としては別の道はなかったと思います。それには2つ理由があります。
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)
宮台  第一に、1954年にビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸事件が起こり、それがナショナリスティックな反米運動と結びついて共産主義化するんじゃないかと恐れたアメリカが、日本に原子力を与えてなだめた上で、アメリカへの技術的な依存を深めさせようとしたことが、核の平和利用の始まりだったからです。アメリカの意志だったということです。 第二に、核を手にすることは、それが平和利用か軍事利用かの別に関係なく、日本にとっては去勢体験の埋め合わせだったからです。まず、広島と長崎の原爆による敗戦が去勢体験です。その1年あまり後の新憲法公布も去勢体験です。52年のサンフランシスコ講和条約の調印翌日にダレス国務長官に羽交い締めにされた吉田茂が日米安保条約に署名させられたのも去勢体験です。
45年から52年まで去勢体験のラッシュ。そんな中、多くの政治家や学者や市民は、去勢を埋め合わせるパワーシンボルとして核の平和利用を欲しました。原爆による去勢体験を原発で埋め合わせたのは第一の皮肉で、日本を去勢したアメリカが日本に埋め合わせを与えたのが第二の皮肉。こうした皮肉の結果、去勢の埋め合わせを欲してますますアメリカに依存して去勢されていく、今日まで続く展開になりました。こうした皮肉に敏感だったのが清水幾太郎と西部邁などの「転向保守」です。「転向」が喧伝されるけど、ビフォア&アフターで一貫しているのは、反米ないし対米自立の観点です。そして「転向」後にこの観点から日本の核武装を要求しました。
アメリカから離脱するには、アメリカが「大人の事情」で日本に渡したあめ玉に食らいつき、自前のものとして鍛え上げ、最終的には核武装を手にするんだと。やっぱりそこでも原発は核兵器転用可能性という「力の象徴」でした。 でも核兵器転用可能性は外交史に詳しい人なら誰もが知っているように単なる妄想です。 例えばIAEA(国際原子力機関)の主要目的は「原発の安全管理」ではなく「日独の監視」です。ドイツがNATOに組み込まれたので今では「日本の監視」。この機関で最大の影響力を持つのがアメリカで、アメリカは従来も今後も日本の核武装を絶対に望まない。
ナントカに刃物という言葉があるけど、日本人はナントカだというのがアメリカにとっての刷り込みです。 この刷り込みは永久に変わりません。ならば、清水幾太郎や西部邁や小室直樹みたいに「日米開戦を辞さず」との覚悟がない限り、核武装は永久にありえない選択です。日米同盟堅持を主張する日本の親米保守が、核兵器転用可能性を「力の象徴」とするのは、完全に矛盾だし、政治センスとして馬鹿げています。原子力ムラの中でもそんなこと言ってる人は一人もいません。でも、歴代自民党政府やそれを支える政治家たちの「原発推進は当たり前」だという空気の背後に、「核は力だ」というイメージの刷り込みがありました。

小林 中曽根康弘さんを筆頭に、ですよね。

宮台 そうです。それは非合理な心理だけど、そもそも心理は非合理なものなんです。
愛するが故の嫉妬の爆発で、愛する女が遠ざかる。DVで遠ざかる女を相手にDVをふるって、ますます女が遠ざかる。バカにされないぞ、という憤激で、ますますバカにされる。日本の政治家にはこの種の幼稚さが目立ちます。

小林 まあなんか、消えかかった父性の仕業ですよね。

宮台 そうですね。それで70年代に入って、その少し前から福井の敦賀と美浜で原発が動き始めるわけだけど、特に美浜で故障と事故が相次いだことで、1960年代末期の学園闘争の動きもあって、エコロジー運動も反核運動の爆発につながりそうな気配があった。そこで、72年に総理になった田中角栄が、こうした気配を恐れて1974年に電源三法を作り、原発を誘致した場所に交付金のご褒美をジャブジャブ渡すことにした。これが決定的でした。
というのは、原発立地に名乗りをあげるのは背に腹をかえられずにカネが欲しい過疎地で、危険性の吟味などする余裕はありません。そこで、認知的整合性理論的に、背に腹をかえられずに立地した原発が絶対安全だと信じるしかなくなり、住民によって「絶対安全神話」が要求されるようになったわけです。これ以降、原発の安全性と危険性についての合理的な議論は不可能になりました。

小林 貧しさっていうことへのものすごい拒否反応を持っていた田中角栄が、結果ズブズブとブルースの方向に行っちゃう。

宮台 これは電力会社が補償しきれない残りは政府による肩代わりを規定したものです。当初は電力会社の補償上限は50億円でしたが、現在は上限がありません。原子力損害賠償法では電力会社は原発一基について1200億円の保険をかける義務がありますが、それを超える補償についても義務を負います。
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)
宮台 でも現実に払い切れない場合には、国が賠償義務を負います。実は、そのことが、原発が過疎地に立地させられる理由なんです。小出(裕章)さんが1970年過ぎに最初に原発に疑問を持つ契機は、「絶対安全なはずの原発はなぜ過疎地に立地するのか」という女川で抱いた疑問だったと言います。答えは「大事故が起きた場合の賠償総額を減らすため」です。この「過疎地立地スキーム」と電源三法の「交付金スキーム」との関連が問題です。2つあります。一つは、過疎地だから交付金が必要で原発を誘致するということ。もう一つは、原発誘致で交付金をもらっても脱過疎化はあり得ないということ。ジャーナリストの武田徹さんから伺ったんですが、福島第一原発には原発誘致に際して「福島を仙台にする」というスローガンがあったそうです。電源三法の交付金で福島は仙台になれるというものですが、残念なことに、福島が仙台になることはそもそも国が絶対に許さないんです。電源三法図式と損害賠償法図式の組み合わせが意味するのは、「金はつぎ込むけど、絶対に過疎地のポジションから離脱させない」っていうパッケージ。
少し考えれば分かるように、それ以外にはあり得ないパッケージです。だけど、ちゃんと情報が伝えられなかったことと、背に腹をかえられなかったことで、「原発交付金で地域が豊かになるんじゃないか」って誘致場所の人たちが思わせられてしまった。つまり「原発で地域がどんどん豊かになっていずれは原発から離脱する」は嘘で、正しくは「少しだけ豊かになる代わりに原発依存体質から永久に離脱できない」が正解でした。それは当初から分かっていた、というか政府が狙っていたことです。仮にそのときに、アドボカシー(価値の訴え)を展開する人が村に出てきて、「これは嘘だ、我々は永久に過疎地のまま、原発に依存させられるのだ」と言えば少しは変わったかもしれない。

小林 そうか......。

宮台 本当はそう思う人がいただろうとは思いますが、「今さらやめられない」「空気には抗えない」という〈悪い心の習慣〉が起動したんでしょう。

大阪万博の前後、仮面ライダー以降

小林 話は戻りますけど、大阪万博あたりまでね、もうちょっとみんながそれぞれのところでイマジネーションを持ち得た。それがなんで日本の文化は当たり前の方向にベターっとなってきたのか。僕も当然その中に関わっているひとりではあるんだけど......。

宮台 日本戦後史では、1955年保守合同から1973年石油ショックまでが「高度経済成長時代」の括りです。1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言されましたが、前年には円谷英二監督『ゴジラ』が大ヒットしています。人々が戦後を忘れようとしていたその時に、1953年のビキニ環礁水爆実験で変成した恐竜で、皇居の手前で回れ右をして東京湾に消えていく南海の英霊でもあるゴジラが、戦争を忘れさせまいとするわけです。
小林 放射能を吐きますもんね。

宮台 つまりあれは「もはや戦後ではない」に抗って「戦後なんて終わるはずがない、忘れていいはずがない」っていう抵抗なんですよ。ゴジラは「もはや戦後ではない」に抗って「永久に戦争を忘れるな」っていう抵抗なんですよ。僕が大好きだった『怪奇大作戦』っていう1968年から1970年の万博直前までのテレビシリーズがありますが、悪役の半数以上が元帰還兵です。 帰還兵が日本に戻って行き場所をなくし、心身に障害を負った自分が社会から忘れ去られていることに憤激して、社会に復讐する話です。ゴジラと全く同じ図式です。

小林 そうでしたっけ?
宮台 全話見ましたからね。加えて「怪獣は悪役に見えて、実はそれを生み出す人々の営みがあったのだ」という図式は、『ウルトラQ』にも『ウルトラマン』にも『ウルトラセブン』にも反復されます。要は「忘れようとしていたものによって復讐される」というパターン。多くの方は『ウルトラマン』のジャミラを思い出すんじゃないでしょうか。円谷プロだけじゃありません。1960年代のテレビや漫画には単純な勧善懲悪ではないものが目立ちます。1950年代末期から、手塚治虫は初期SF三部作や『ジャングル大帝』などで、白土三平は『カムイ伝』や『忍者武芸帳』などで、史上はじめて「人類は悪」「社会秩序は悪」というモチーフを打ち出します。その意味で、手塚の『鉄腕アトム』も、アトム君やウランちゃんが出てくるとはいえ、そもそもは原子力礼賛じゃありません。
「人類は悪」というモチーフと「人類の敵とたたかう」というモチーフが重なっている。最初は『アトム大使』っていう漫画で、アトムが人間でもない金星人でもない存在であるがゆえに、地球人と金星人の媒介者になるというモチーフです。このモチーフは『ゲゲゲの鬼太郎』の68年版テレビシリーズと同じです。鬼太郎は『墓場鬼太郎』に遡れば人間と妖怪のハーフで、人間でもなく妖怪でもない存在であるがゆえに、人間と妖怪の媒介者になるというモチーフです。実際、鬼太郎は人間の側についたかと思うと妖怪の側につくし、ビビビのねずみ男を激しく懲らしめたかと思うと一瞬後には仕方ないなあと許すんです。
当時の子供たちは、こうした「60年代コンテンツ」を見て、人間に危害を及ぼす怪獣や猛獣が退治されても、悲しい気持ちになって終わったんですよ。そういう悲しい気持ちは、多くの場合、子供にしか分からないものとして描かれていました。そこには、孤独な少年がいて、唯一の友達が亀なんだけど、くさくてばっちいから捨てて来いと親に命令されて、亀のことを分かってあげられるのは少年だけだ、といった、定番のジュブナイル的なモチーフが重ね焼きになっていたんです。ところが1971年から始まる『仮面ライダー』以降、「悪を倒して頑張るぞ!」って話になりました。
原作の石ノ森章太郎においては、「悪に美学を見出す」というアバンギャルド表現の延長線上にあったんですが、70年代にはアバンギャルド美学が忘却されて小児向け表現に縮退しました。

小林 それからつまらなくなった、確かに。

宮台 そうです。それ以降は、さきほど小林さんに質問していただいた「自明性」つまり「当たり前」にそのまま依存するような表現ばかりになります。ところが1970年までは、「悪が悪なのは当たり前」という子供番組はむしろ少なかったんです。
そうではなく、「怪獣は悪に見える。でもなぜそれが存在するのか。蓋を開けてみるとその背後には実は人間の営みが......」という謎解きに、胸を痛めながら子供はワクワクしていたんです。この「怪獣は」ってところを「3.11で事故を起こした原発は」って入れても同じですよね。「外から降りかかった災難に見えるけど、そこに至るまでの僕たちの営みはどうだったんだろう」っていう問いかけになるはずです。「60年代コンテンツ」になじんだ、つまり円谷英二的なものに感染した人間であれば、そう捉える以外ありません。原発のうしろには東電と経産省という「悪の権化」がいて......という捉え方は、仮面ライダー的ではあっても、円谷的ではありません。原発の問題は、円谷的に捉えるしかないんです。

小林 そうね。メディアとしての勧善懲悪も含めて、なんですかね......。「経済で行くんだ」っていうふうになってきたことと関わりがあるんですかね。ありそうな気がするんだけど。
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)

経済への埋没――自明性へ「依存」しないための「別世界」の構築

宮台 そうです。経済がうまく回ることで、僕たちは〈システム〉に埋没してしまったんです。「自明性への依存」は別名「〈システム〉への埋没」です。こうした埋没は、しかし同じ戦後とはいっても、枢軸国(同盟軍)のドイツでも、連合国(連合軍)のアメリカでも生じていません。なぜなのか。アメリカは冷戦の当事者としてソ連と対峙していたことが「自明性への依存」を不可能にしたし、ドイツは東西分裂で日本のような政府間賠償という手打ちができなかったので、企業や自治体や国家が個人から請求があれば補償に応じる「個人補償図式」に採用したことが「自明性への依存」を不可能にしました。でも、こうした個別事情を超えた問題があります。日本人の「〈システム〉への埋没=自明性依存」について、社会学者であれば宗教的条件と結びついた〈心の習慣〉を考えるのがオーソドクスです。それを理解するには、まずユダヤ教、キリスト教、イスラム教を見るのが好都合です。この三つの宗教は全て同じ神を信じています。呼び方が違っていても同じ「絶対の神」です。違うのはメシア観です。ユダヤ教徒は「メシア未だ現れず」。キリスト教徒は「イエスがメシア」。
イスラム教徒は「イエスは有能な預言者で、マホメットがメシア」。 戒律があったりなかったり(戒律がないのはキリスト教)、来世信仰であったりなかったり(来世信仰はイスラム教)と違いがあるけど、共通性が大切です。「神の意志」を裏切る生活をすれば「絶対の神」が我々を滅ぼすということです。だから、たとえ主観的には幸せな生活でも、「神の意志」を裏切っていないかと自らを絶えず試練にかけるんです。つまり、自分たちの生活形式に対して反省的だということです。でも「絶対の神」がいない僕らって、幸せになれば「幸せになった」で終わるんです。僕らのまわりに居るのは、「絶対の神」ではなく、よく言う「アニミズム的な存在」です。例えば妖怪です。妖怪は絶対的な不動の存在じゃない。その証拠に、生活形式が変わると新しい妖怪が出てきちゃうでしょ。学校ができればトイレの花子さんが出てきちゃう(笑)。結局、我々には何か突きつけてくるという宗教的存在がないんですね。つまり「自分たちはこの生活でいいのか」と突きつけてくる「疑いのエンジン」がないんです。宗教学では「超越の契機がない」と言う。
でも、小林さんは岩井俊二さんの映画『リリイ・シュシュのすべて』に素晴らしい音楽をつけておられます。 岩井さんの本質を岩井さん以上にお知りになって作曲していらっしゃることが、ここで出口の一つになる。 一口でいえば〈世界〉からの訪れに開かれた感受性です。映画の劇中でのリリイ・シュシュの歌が〈世界〉からの訪れを導き入れる扉です。〈社会〉の中で酷薄な関係性を生きる登場人物たちは、〈世界〉からの訪れに身をゆだねることで、辛うじて〈社会〉をやり過ごすわけです。酷薄な状況に置かれた人間たちの多くが経験していることでしょう。 敗戦や震災ですべてチャラになる経験は、もちろん災難だけど、多くの人が解放の感覚を証言している事実があります。16年前の阪神淡路大震災でもそうでした。「自分はあれが無いと生きられないと思っていたけれど、実は無いと生きられないと思っていたモノが無くても生きられるなっていう、そういう感覚を与えてくれた」と証言するわけです。「いろんなことがあってもお天道様はちゃんと昇ってる」みたいな感覚です。いじめられっ子の感じ方でもあります。学校の中でひどい目にあってる場合、「自分の世界は学校の中だけしかない」と思ったら生きていけない。
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)
だから、感受性をちょっと飛ばして、自分が最大限遠隔の〈世界〉とつながっていると感じる。そうすれば救われるわけです。 外側の〈世界〉とつながることで人は〈社会〉の内部でタフになる。でも、このタフネスは場合によっては悪を悪とも感じない感受性になってしまいがちです。『リリイ・シュシュ~』の星野(不良グループのリーダー。元いじめられっ子)はまさにそういう存在でした。その星野はいつも音楽を聴いて感受性を外に飛ばそう飛ばそうとしていました。こうして、〈世界〉が大きくて、その中に〈社会〉が小さくあり、〈社会〉の中で苦しいときは〈世界〉につながれば耐えられるという感受性があれば、人は〈社会〉の自明性に埋没しないで済む。その意味で、アーティストの責務の一つは「〈社会〉の外に感受性を開け、お前には何も見えてないし聞こえていない」ってはっきり突きつけることです。

小林 大体クラシックの音楽ってドビュッシーもそうだけど、基本的には宗教音楽的ですよね、一神教の。何か強いものに向かっていこうとする。でも、ドビュッシーはその中でまっすぐに行くんじゃなくて、そこに曖昧に滲んでいく要素っていうのも持っていて、一神教のようなんだけどアジア的な多様性に開かれたところもあったと思うんです。
小林 アンビエンス的なんだけど、教会の上の方から外に降り注がれるようなイメージと言いますか。で、実際僕はあのときに、その美しさの中に、例えば田んぼのシーンの中でいうと、地面から広がるフシみたいなものをモードっていうか民謡でもいいんですけど「響き」を作って、そこに電気でやっていくいろんな音を、ロックも含めて解体してサンプリングしてって断片を拾い集めて、アンビエンスも含めて逆に地面から上にの方に向かって立ち昇っていくというか、それがドッキングするっていうイメージがすごくあって。僕は東洋的なものと西洋的なもの、それだけじゃなくて宇宙的な何かの感覚も含めて、どんどん組み合わせていったんですけど、そういう自分の思う世界観というものをね、構築していくということなのか、なぞっていくっていうことなのかわからないけど、やればいいと思うんですよね。
宮台 小林さんも僕もそうでしょうけれど、中学時代ってすごく音楽にハマるでしょう。ほんとに毎日がつらくてたまらないんだけど、音楽にどっぷりつかることでなんとか持ちこたえて耐えるって感じ。ところが、90年代前半に女子高生たちの援助交際を調べていたときに偶然に知ったんですが、90年代半ばまでにそれってほぼ終わるんですよ。きっかけは1992年からのカラオケボックスブームです。音楽が「歌えば拍手、歌えば拍手」の社交ツールになった(笑)。盛り上がるには皆が知ってるってことが必要だから、CMやドラマや映画のタイアップソングばかりになって。音楽に表現者の世界観や価値観が投影されているかなんて全然問われないから、聞き手もディープにハマらないわけ。むしろ、カラオケの「歌えば拍手、歌えば拍手」の盛り上がりの中では、皆が知らない歌を本人だけがどっぷり浸って歌っちゃいけないっていう明確なルールがあるわけです。
それだけじゃなく、音楽にどっぷり漬かっちゃうようなヤツはイタイっていう見方も拡がります。例えばバンドをやってることがカッコ悪くなる。あれは本当にきついルールで。

小林 そうですね。

宮台 かくして、音楽に限らず、サブカルチャーのアイテムにハマる度合いが、全体としてとても浅くなります。折しもデジタルの拡がりで、時代的な文脈や社会的な文脈と無関係に、快感を与えるアイテムをアーカイブスから拾って、横並びにして享受するようにもなります。こうしたことが重なって「ハマるとロクなことがない」って感じになりました。

これからのこと 自治の必要性

小林 じゃあ、これからのことを話しましょうか。処方箋のようなものがあるのかどうか、そう言ってしまうとまた「依存」につながりかねませんが(笑)。震災後数か月経って、政治ももちろん経済の問題も、これから僕らがどう変わっていくかというところのね、プロセスというか進み方の手順とか、突破口になりえるようなことやタイミングをいろんな形で僕も探ってますが、そんななかで孫さんのような存在がボーンと旗を掲げ出したりとか、まあ彼は経済界にとっては非常にカウンター的な存在だから......。

宮台 でも、応援している経済人は、僕が知る限りでも、けっこういますよ、本当は。経団連という「お座敷」のつきあいがあるので、表立って言えないっていうだけですね。

小林 だからすごい面白いところに孫さんが出てきたなっていうのもあり......。宮台さん自身はどういう流れで、日本は「脱・依存」というもののきっかけをつかんで、自立する道というのに向かっていけるとお考えですか?
宮台 小林さん、日本全国が、一斉に「食の共同体自治」や「エネルギーの共同体自治」に向かうってことは、たぶんないと思うんですよ。結局「お任せ体質」は変わらないままで「電力会社は電源の種類だけ変えろ」みたいになるでしょう。かつてスローフードがロハスと勘違いされて「スーパーはオーガニックに変えろ」みたいになったように(笑)。「電力会社は......」「スーパーは......」という主語になっている時点で既に「共同体自治」から遠ざかっています。「共同体自治」というのは、「自治体が各個人に便益をちゃんと提供しろ」という話じゃなく、「自分たちで自分たちの社会のスタイルを決めるぞ」というところがポイントです。つまり「任せる=依存」から「引き受ける=自立」への転換です。僕が学生に説明する際、さっき申し上げたスローフードとロハスの違いを持ち出します。ロハスは個人的趣味で「ライフスタイル」の問題です。スローフードは共同体自治で「ソーシャルスタイル」の問題です。ライフスタイルと違ってソーシャルスタイルの選択は、場合によっては個人が積極的に自分の選択自由を放棄するまで含まれているんです。
「うまい、速い、安い」もいいけど、それだと地元商店が潰れ、地元農家が潰れて、自立的経済圏が崩れて、町の人間関係や街並みや文化や匂いまで失われてしまうから、「うまい、速い、安い」を追求する個人的選択肢は放棄しよう。そういうのが、ソーシャルスタイルとしてのスローフードの呼びかけだったはずです。別の言い方をすると、ライフスタイルは、資本主義的な市場への盲従的依存ですけど、ソーシャルスタイルは、仲間の絆が失われないように資本主義的な市場に是々非々でどう対処するべきなのかという話なんですよね。だから、まず「ライフスタイルからソーシャルスタイルへ」っていう話をリアルに理解してもらうための仕掛けが必要です。

小林 なるほど。

宮台 関連する話だけど、半年前に「超高齢者所在不明問題」や「乳幼児虐待放置問題」が話題になって、日本人の多くは行政批判に傾いたけれど、海外のメディアをみると「行政を批判する前に、地域社会をまずなんとかしろよ」っていう論調です。
超高齢者の所在に無頓着だったり乳幼児虐待を放置する地域社会って、終わってるんじゃないかって。だからこそ震災を契機に「食のエネルギーの共同体自治」を梃子にした、市場や行政などの巨大システム--〈システム〉--に依存し過ぎない社会、ソーシャルキャピタル(人間関係資本)を自覚的に大切にする社会を作るべきです。ただし、共同体っていっても、「今さらやめられない」「空気に抗えない」みたいな〈悪い共同体〉であっては困るんです。例えば、旧住民がそうした〈悪い共同体〉を形成している場合、その地域では必ず新住民と旧住民が分離してしまいます。逆に言えば、旧住民が、新住民を包摂すべく、意識的に〈悪い共同体〉を克服したような地域社会は、日本では例外的です。そこで大切なことが2つあります。一つは、数少なくてもいいから目に見える成功事例を積み上げること。そして、もう一つは「何が人間の生き方として正しいか」を表現者たちが示すこと。単なる道徳的正しさではありません。哲学に詳しい人だったら「美学的」って言い方をするものです。小林武史さんをはじめとする表現者たちが「何が美学的な生き方か」を伝えることが大切です。
共同体からは「和を乱すのは不道徳だ」などウシロ指をさされてもね。

小林 いや、ほんとにそれはやらなくちゃいけないことだと思ってます......。ただ、どうやって結びつけていったらいいんでしょうね。例えば一方で孫さんのような、頭の回転や意思決定が速くて、あれだけの財を使って経済としての整合性のあるいろんなことをやれる人がいる。今回のことはまさに彼がずっとやってきた通信の部分とまったく同じ構造が、エネルギー問題に於いて、彼にとって完全な敵として、そして僕らの生命までも脅かすっていう存在として、現れてきている。そのことも含めて、僕はある意味、みんなが孫さんという存在をうまく使っていけたらと思ってるし......。

宮台 素晴らしいことです。政策遂行でも社会運動でも、「市場プル」の発想が大切です。言い換えれば「市場を前提にしたインセンティブ」です。消費や投資をする経済的主体が「社会にいいことをすると儲かる」と思えるようにするわけです。
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(2)
宮台 政策遂行では控除など租税体系が大切ですが、社会運動では消費者や投資家の意識が大切になります。 さっき申し上げたフェアトレードは、お金を使った投資や消費を、「どの会社が社会的に正しいのか」に関する投票行動として捉えてもらおうという図式です。それには、情報開示を通じて、その選択肢にお金を投じることと、別の選択肢にお金を投じることが、何を意味するのかをはっきりさせることが大切です。そうすれば多くの人はソレを選ぶ。多くのギャルたちがアースデイやピースウォークなどのNGOイベントに積極的に参加したがる姿や、イベントが終わったらキチンとゴミを片付けたりする姿を見て思いました。島宇宙化が進んで共通前提が崩壊し、流行の意味が分からなくなった現在、若い人たちの多くは「良いこと」にコミットすることで世界認識を構造化しようとしているんですね。
社会システム理論の言葉を使うと、かつてと違って、今では「何が今の流行か」の評価は島宇宙それぞれで、かつ島宇宙への所属が流動的なので、流行へのコミットはリスキーになりつつあります。これに対して、「何が社会的に良いことか」の評価は島宇宙ごとに異なることはないし、簡単には変わりませんから、コミットが相対的に安全です。別の角度から言うと、情報開示は、消費者や投資家にとっての計算可能性を確保するという観点からなされる必要があります。 自然エネルギーで言えば、固定価格買取制、正確には「全種・全量・固定価格・固定期間・買取制」は、余剰電力買取制と違って、例えば自宅のソーラーパネルに200万円投資したら何年で元がとれるかが完全に計算できます。百年前に活躍した社会学者マックス・ウェーバーによれば、近代化とは、計算可能性を確保させる手続き(法的枠組など)が社会に拡がる動きのことです。
計算可能になれば、例えば自然エネルギーに大規模投資する企業は、株主に対して投資合理性をクリアに説明できるので意思決定が容易になりますから、自然エネルギー市場が一挙に拡がります。 ところが日本では、政策遂行については、特別会計からの交付金という図式を反復し、交付金を配分するための財団を設立し、そこに天下り先の座席を確保して、不必要な人件費などに予算を充てる図式になります。しかも、残りの予算についても、予算を直接あてにするだけの事業しかありませんから、予算が打ち切られればすべて終わるわけです。

小林 それも依存ですよね。待っちゃうんですよね。

宮台 そうです。やり方を変えて、ヨーロッパなどでは既に当たり前の固定価格買取制や炭素税のように、予算は、市場インセンティブを設定するために使われるべきです。
宮台 社会運動も同じことで、市民に向けた単なる「~するべきだ」という効率の悪い呼びかけをやめて、「こういう市場インセンティブを作れ」というロビー活動を重視すべきです。「~するべきだ」という提案は、「~する」に向けて人々を動機づけるような市場インセンティブの提案に置き換えていく必要があります。つまり、「~する」ことが市場を通じて儲かったり得をしたりするような税制や補助金を提案していく必要があります。かくして「共同体自治を支援するような投資」がマネーゲームのプレイヤーに選択されます。

小林 儲けも「含めて」ですよね。
宮台 そうですね。世の中、善いことをしたい人だけから成り立っているのだったら、儲けを度外視できます。でも「俺は善いことには関心がない」って人もいます。そういう人に対して、「わかりました。でも善いことをすると儲かるんですよ」って言っていかないとね。それが、市場インセンティブを設定する市場プル型の政策的誘導になります。

小林 まあ、そういう部分も必要ですよね。 でももう「儲けるだけ」じゃ自分に返ってきちゃうってことをわからないとね。 お金のことだけじゃ幸せにならないですよ。「どうしても人よりも得したい」っていうだけの考え方では......。マニュアルのようなものをお金と結びつけて人生を測るだけでは、人生がもったいないですよね。世界はもうちょっと深くて広い。
宮台 そう思います。つまり「便利」や「快適」よりも深いところに「幸福」があって、「幸福」よりもさらに深いところに「尊厳」があるってことが分からないといけません。「快適」で「便利」だけど「幸福」じゃないこともあるし、「家族の幸せを満喫している」けど「何か物足りない」っていう実存の問題が人間にはありうるわけです。ところが、日本人はこのことに鈍感です。例えば、日本では内閣が変わるごとに「幸福度調査」っていう名前のリサーチがなされますが、その内容は内閣府がやっている「国民生活選好度調査」と同じです。つまり、人々の「便利」や「快適」のニーズに、市場や行政が応えているかどうかを調べているだけです。幸福度調査と呼ぶに値しません。
宮台真司
宮台真司
社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。

1959年3月3日仙台市生まれ。京都市で育つ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で単著20冊、共著を含めると100冊の著書がある。キーワードは、全体性、ソーシャルデザイン、アーキテクチャ、根源的未規定性、など。

(撮影・取材・文/編集部)

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