続きのメール
2012.05.02 00:35
今週は熊本、宮崎と、九州をまわります。
すでに福岡で生産者、
どちらかというと食の流通の人だと思うけど、
素晴らしい人と出会いました。
今日は熊本で偏屈なまでの農業の達人と一緒に
食事しながら語らいました。
本当に想いを持ったすごい人は、まだまだいます。
そんなこんなで、
4月20日のブログの続きを書きます。
最近個人的にも知り合うことのできた
中沢新一さんの著書「日本の大転換」で
書かれているのですが、とても興味深い論説があります。
僕らのいまを本当に上手に表していて、
それは内田樹さんの考えと組んでいくと、
より伝わりやすいと思います。
そもそもすべては、太陽が僕らに一方的なギフトを
与え続けてくれていることから始まっている、ということなんですよね。
それはおわかりかと思うけれど、
確かに太陽の光がなければ、何ひとつ始まっていない。
意外と知らない人がいるかもしれませんが、
太陽がずっと燃え続けているのは、
あそこが石油やガスの塊だということだけではなくて、
太陽自体が核融合なんかを起こし続けているから、
とりあえず燃え尽きてしまうわけではないらしいのです。
一方で、太陽のギフトから始まった生き物としての
長い旅の上に人間が生まれ、
この社会を作ることになっているんだけれど、
それは、始まりの太陽というものを含めた外界との繋がりで
僕らが存在しているはずなのです。
少なくともずっとそのことを大切にしながら、
もしくは子孫を残していこうとする思いとともに、その外界との繋がりを
ある時は猛威にも曝(さら)されながらではあるけれども、
続けてきたはずなのです。
ところでグローバル資本主義がつきつけてくるものは、
市場の透明性というか、公平性というか、
それは短期間での市場なんでしょうね。
つまり、昔から繋がっていた市や町の商業形態が、
シャッター通り現象などに見られる通り、
崩壊が進んでいるわけですが
それも短期間でのギブ&テイクとして、
どれが最もお得かを競い合うということなんでしょう。
この傾向は随分前から始まっていて、考えてみれば
日本は戦後、自由に物を売り買いできるという魅力につられ、
繋がりを放棄し、核家族化し、
そして孤独というものが蔓延するという社会を作り上げてきています。
中沢新一さん的に言うと、外界と繋がりを拒絶して物を売り買いして、
得られる豊かさを求める社会に閉じこもって、そしてあろうことか、
外界と繋がっている先にある、つまり大もとの太陽の、
その太陽がエネルギーを出し続けている仕組みだけを、
ちゃっかりとその閉じた世界の永久運動を願っての
原動力に据えようとしているという
なんというパラドックス(矛盾?)でしょう、ということになります。