top » 宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(4)
宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」(4)
対談当日、折しも世間は菅首相の退陣表明と内閣不信任案で騒然としていた日。そんななかお出でいただいた社会学者の宮台真司さんは、のっけから熱く、静かに、語りはじめた。「政局」から「人の尊厳」にまでおよぶテーマの、濃密な2時間半のダイアローグだ。(対談日:2011年6月2日)
updata:2011.07.14
これからできること、必要なこと
地方自治の可能性
小林 話が変わるようですが、自分たちで選んでいくという意味で、地方自治、例えば宮台さんがお住まいの世田谷の自治っていうのに興味があって。僕らミュージシャンのなかでも世田谷に住んでる人は多くて、昔からの旧・世田谷住民もいるし新・世田谷のヤツもいて。あのへんゴチャゴチャしてるけど、支え合ってというか受け入れ合って生活している感じがしますけど。
宮台 典型的には子育てネットワークです。世田谷や目黒には子育て支援のボランティアサークルが至るところにあって、主に旧住民のおばちゃんたちがやってる。
また、地域のお祭りがあって、子供の参加を通じて新住民を包摂するように一生懸命努力しています。僕がすごいなと思うのは、そうした活動を通じて子供の名前を覚えることですね。
実際、ウチの娘たちは4歳と1歳ですが、気がつくと地域のおばちゃんおじちゃんたちがみんな娘の名前を覚えてくれていました。路で会えば「あ、はびるちゃん、まうにちゃん」と必ず名前で呼ばれるわけですね。たぶん、娘たちが大きくなっても、この近所ではみんなが顔と名前を知ってるから、悪いことできないだろうなと思う訳ですね(笑)。 でも、管理の行き届いたマンションに住むと、世田谷区独特の旧住民の包摂性の恩恵を受けにくくなります。
家を建て替えるとき、1年ほど新しいマンションに住んだんですが、今どきのマンションで驚いたんだのは、ゴミ出しの日が決まっていなくて、ゴミを出したいときに出せば、あとは全部管理人に任せればやってくれるんですよね。
小林 毎日そこに仕分けして入れればね。
宮台 あと、すごい驚いたのは、僕たち家族は引っ越したときに上下左右に挨拶したんだけど、今どき、そんなことしてる人なんて一人もいなんですね。
小林 宮台さんがそんなことしてるってことが驚きだけど(笑)。
宮台 そういうのはきちんとやるほうです(笑)。でも、挨拶もなしに、いつの間にかいなくなって、いつの間にか新しい家族が入ってきて。戸建ては違います。ゴミ当番があり、町内会費や赤十字募金の当番があり、回覧板当番がある。長期で家族旅行とか行くと当番を代わってもらわなきゃいけないから、「すいません!」ってお願いをしにいって。で、旅行から帰ったら、代わってもらったお礼にお土産を持って行ったりする。うちの娘が近隣の子のウチに遊びに行けば、今度は近隣の子が遊びにくるのを受け入れなきゃいけない。マンションに比べりゃ面倒くさい。でも、面倒くさい関係がないと、実際には「絆」ってできないんですよね。つまり「絆」には、必ず「絆コスト」が伴うわけです。こういうことって昔は当たり前なのに、今は当たり前じゃなくなりました。ディベロッパーの人に聞いてみたら、最近ではディベロッパー界隈でもその辺りのことについての気付きが生まれてきたそうです。マンションの営業をするときに、「ここは戸建てと同じような当番制で回る自治があって、面倒な分、絆が生まれます」というのをウリにする。
小林 そうなんですよね。僕もこないだ「天然住宅」って東北の木材を使って循環させようというチームがあって、いまそこへの支援の仕方を考えてるんですけど、そのチームが造った神奈川の鶴川ってところにあるコーポラティブハウスを見に行ったんですが、ほんとに素晴らしかったですね。普通のマンションって、最初買うときはすごいハードルを下げるようないいことばかりを言うんだけど、結局建て替えたり修繕がどうのこうのというときにだいたいモメて、モメてるらしいからって不動産価値もどんどん下がってく。で、うまくいってるところっていうのは住人がみんな住み方を共有できているからうまくいく。だから、最初からマンションで共同で住んでいるっていうことがどういうことなのかってことをちゃんと伝えていくことも大事なんですよね、これからは。
宮台 おっしゃるとおりです。
これからの政治の可能性 もう一度自治の必要性
小林 最後に今後の政治の可能性をお聞きしたいんですが。
宮台 日本の政治状況に突破口はありません。菅おろしが祭りになってるけど、菅おろしに関わっている誰が、原発問題や再エネ問題についてまともな見識を持ってますか。人材を見れば状況は深刻です。でも、中央政治に信頼が置けないのであれば、中央の政治を信頼できるってことを前提にした振る舞いを、どんどん撤退縮小すればいいと思うんです。中央政界がまともになるのにどれだけ時間がかかるかを考えると、とても待てません。震災の少し前に菅総理と飯をご一緒した際、僕がいろいろ文句をたれてたら、「言ってることは分かるけど、政府の中で、霞ヶ関全体の動きを把握できる人がどれだけいると思うの? ひとりもいない。霞ヶ関官僚も自分も含めてね」っておっしゃるんです(笑)。
小林 はははは(笑)。
宮台 菅さんは、日本の政治状況がどんな体たらくなのかについて分かっていらっしゃいます。震災後の原発政策についても経産省の暗躍や計略を知っていらっしゃる。でも、菅さんもそうだし、他のどんな政治家もそうだけど、こうした状況からどうすれば脱出できるのかについてプランを描ける人は、霞ヶ関にも永田町にもいないですね、残念ながら。 フランスにジョルジョ・アガンベンって政治哲学者がいるんですけど、彼が言うには、グローバル化つまり資本移動自由化を背景に、政治家と行政官僚集団の綱引きはどの先進国でもシビアになり、ほとんどの場合、行政官僚集団が勝つ。例えば、アメリカにおける「イラク大量破壊兵器問題」もそうで、政治家は行政官僚に操られて騙されるわけです。なぜそうなるかというと、統治の単位がデカすぎるからです。
グローバル化状況では、把握すべきパラメーターの数が膨大になって一政治家の脳内キャパシティを超えがちになり、行政官僚集団の専門性に依存するしかなくなるからです。行政官僚は専門性を背景に情報を出しますが、それは彼らの権益を背景にしたバイアスがかかっているわけです。
小林 誰が首相になっても、いまのままでは同じ事が起こるという事ですよね。
宮台 そうです。菅総理の資質の問題や、日本の政治家の質の問題に目を奪われて、統治単位のデカさに由来する構造的問題を見逃しがちです。アガンベンの発想だと、問題の解決には、統治単位を縮小するしかありません。社会成員の顔が見える基礎自治体を単位とした共同体自治をベースにして、「補完性の原則」を貫徹するしかありません。
「補完性の原則」とは、できる限りのことは顔の見える「我々」の範囲でやり、それが不可能な場合、できるだけ下の層から行政官僚制を呼び出し、最後の最後に国家レベルの行政官僚制を呼び出すことです。統治単位が小さければ、把握すべきパラメーターの数が減り、政治家や市民が行政官僚集団の専門性に依存せざるを得ない度合いが減ります。 最後は共同体自治の話になります。日本は共同体自治が手薄すぎます。ヨーロッパのような中世自治都市の伝統もなければ、アメリカのような宗教的自治を背景にした州形成の伝統もないからです。だから、スローフードが「食の共同体自治」ではなく食材の話に短絡し、自然エネルギーも「エネルギーの共同体自治」ではなく電源種の話に短絡します。日本ではあらゆる主体が中央行政に依存しすぎ、「任せる政治」になっています。原発事故の問題も、「任せてるんだから、もっとちゃんとやれ、原発なんか使うな」という話に短絡している。そうじゃなく、「任せていられない、自分たちでファンドを作って、地域電力会社を引き受けます」という具合に、自立した「引き受ける政治」が必要です。
アガンペンの発想に従えば、統治単位のデカさと中央への依存を放置したまま政治主導を実現することは、構造的に不可能です。「中央への依存体制が続く限り、政治主導は無理だ」ということです。「日本の行政官僚は優秀だから、任せていい」という向きもあります。それはあり得ません。なぜか。百年前にマックス・ウェーバーはこう言いました。行政官僚と政治家は、担う機能が異なります。行政官僚は、既存プラットフォームの上で席次を争う存在です。政治家は、環境不適合を起こした既存プラットフォームを新たなプラットフォームに取り替えるべき存在です。行政官僚は、自分の席次争いを無意味にするプラットフォームの変更に抗います。ここに政治家と行政官僚のバトルが生じます。行政官僚がどんなに優秀でも、ウェーバーによれば「最良の行政官僚は、最悪の政治家である」、つまり行政官僚には根本的な機能不全を起こしたプラットフォームを取り替える力はないんです。だから「日本の行政官僚は優秀だから、任せていい」ということは、構造的にあり得ないんです。保守論壇誌を見ると、これを弁えない馬鹿が溢れています。
政権交代をした民主党は、むろんプラットフォームの変更を企てました。当然、行政官僚は様々なサボタージュをします。だから行政官僚の抵抗を排する政治主導が必要です。でも、行政官僚集団に依存しすぎても政治主導は無理だし、行政官僚集団の協力を排した政治主導も無理です。絶妙なバランスをとるには行政官僚制を熟知した人事が必要です。行政官僚制を熟知した人事には行政官僚の協力が必要です。新政権はプラットフォーム変更のための政治主導を掲げたのは良いけれど、必要な手順を弁えていませんでした。行政官僚を排除して行政官僚の仕事を政務三役が代行することを、政治主導と勘違いしました。代行は無理だし、たとえ可能でも代行に能力を使ってもらっては困るんですよ。総選挙に勝利した段階で直ちに政権移行チームを作り、協力的な行政官僚とそうでない行政官僚を見極めて人事の準備をし、政権をとるや直ちに新しい政治体制に法的根拠を与える内閣法や省庁設置法や国家公務員法の改正をする必要がありました。その中には予算案立案と人事計画を掌握する国家戦略局を法的に設定する作業がメインで含まれます。
小林 なるほど。
宮台 それが前半戦です。それだけでは、アガンペンを引用してお話しした、統治単位の巨大さゆえの行政官僚集団への依存を避けられません。後半戦では、共同体自治の樹立に向けた戦いが必要になります。依存の宛先を国家公務員を地方公務員に置き換えるだけの地方自治化ではダメ。あくまで共同体自治と補完性原則の組み合わせが必要なのです。 もう一つ重要なことは、市場を用いたインセンティブ・メカニズムに軸足を移すことです。経産省は既に中長期的には自然エネルギーにシフトすることを前提に、特措法を作って特別会計から補助金を出し、補助金配分のための財団を作り、そこに天下り先を確保する、というストーリーを考えています。これではカネに群がる阿呆を量産するだけです。そうではなく「儲けようと思えば、社会的に良いことをするしかない」ように「市場を条件づける」のです。
環境について言えば、1980年代からヨーロッパで整備されてきた「環境税(炭素税)」や「フィードインタリフ(全種全量固定価格買取制)」も、儲けようと思えば自然エネルギーにシフトするしかないように「市場を条件づける」ものです。「食の共同体自治」や「エネルギーの共同体自治」が、市場を前提にして「近くを助けるシステム」(我々を幸せにするための市場)であるとすると、今申し上げてきたような「市場の条件づけ」は、市場を前提にして「遠くを助けるシステム」(他者たちを幸せにするための市場)です。「共同体自治」と「市場の条件づけ」の組み合わせが大切です。「市場の条件づけ」という意味では、所得税をゼロにして全て間接税にしたり、自然エネルギープラントの立地について固定資産税をゼロにしたり、といった枠組を、道州制ベースに、道州ごとに作り出すことが大切です。でも、この道州制による「市場の条件づけ」は、食やエネルギーなどをめぐる「共同体自治」と補完し合う必要があります。国家官僚が道州制官僚になるだけで「依存」体質が変わらないのであれば、道州はいったんできたプラットフォームを変えられずに沈没します。
ヨーロッパのように人口二〜三万の規模の顔が見えるユニットをまず「基礎自治体」として食やエネルギーの「共同体自治」をやり、道州が「市場の条件づけ」を通じてそれを補完するような体制が必要です。
小林 枠としてはもうちょっとサイズダウンするような感覚としてはあっても、やっぱり中から変えていく、もしくはそれを飛び越えてつないでいく何かが必要だってのはそうですよね。僕らも今度プロジェクトベースではありますけど、ファンドを信用金庫なんかにも持ちかけてみようとか、いろんなころをいまから一般の方々のお金に対しても開いていこうと思ってるんですけど。まあ「つなぐ存在」でありたいなと。もちろんフードリレーションという命の循環を感じるためのプロジェクトで色んなアウトプットをしたり、東北のほうにもアウトプットの場を作ったりと。西のほうでも考えてるんですけど。とにかく東京に集約しているものを、色んな「依存」を、この震災を機にいろいろな形で分散させていくっていうのが大事だと思います。今日はこんなところにしておきますか(笑)。
ありがとうございました。
宮台真司
社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。
1959年3月3日仙台市生まれ。京都市で育つ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で単著20冊、共著を含めると100冊の著書がある。キーワードは、全体性、ソーシャルデザイン、アーキテクチャ、根源的未規定性、など。
(撮影・取材・文/編集部)