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小林武史 × 矢沢永吉

小林武史 × 矢沢永吉

5年目を迎えた、ap bank fes’09のシークレットゲストとして、圧倒的な存在感を示した、矢沢永吉さん。
新しいアルバム『ROCK'N'ROLL』をリリースし、驚くほどのパワーで走り続けている矢沢さんに、「ap bank fesでの矢沢さんは完璧だった」と語る小林武史が、待望のインタビューをしました。

updata:2009.09.25

第8回 「直球ど真ん中に、戻ってもいいのかもしれない」

「なんで日本はこうなっちゃたんだろうね?」と矢沢さん。NHKの番組に出演して、何をしていいかわからない若い人が、予想以上に多かったと印象を語ります。「直球ど真ん中に戻っていいのかもしれない」は小林と共通した思いでした。

小林 このあいだNHKの番組でおっしゃっていましたが、これからの若い人たちに、何が大切で、どんなことが活路だと思います? 僕なんかは先ほどの話で、海外に出ていく、自分の居場所から出てみるというのも大切なのかなと思いましたが。

矢沢 それは、すごく大事じゃないですかね。

小林 僕も、海外にずっと行っていた人間なので、矢沢さんの話を聞いて、あらためて思いましたね。

矢沢 何で日本はこうなっちゃったんだろうね? いつぐらいから、何がきっかけで、こういうふうになっちゃったのかな。
たとえば、僕がNHKに出たときに、企画したのは彼らだけれども、今の20代の人とのトークセッションで、「何でも話せるような人を募集したいんだけれども」って言うの。
「矢沢さんに悩みでも言いたいことでも、なんでもいいから集まりませんか?」と募集したら、応募がバーッと来て、結局150人くらいがスタジオに来たんですよ。

自分としては「え!? 何するわけ? 俺は別に悩み相談を受けるのも嫌だし。そういうことに答えられるわけでもないし」と言っていたわけ。でも、「しょうがないな、わかりました。その企画を進めたいんだったらやりましょうか」と受けることにして、別に「OK、レッツゴー!」という感じでやったわけじゃないんです。

それで、集まった若い人の話を聞いてみて感じたのは、「何をしていいかわからない」という人が、今、ものすごく多いですね。そういう人が増えているとは聞いていたけれど、予想以上に多い。
うちの娘の話になるけれど、娘が歌を歌いたいと言ったときに「止めときなよそんなもん」と、はっきり言ったんです。親というのは形なのか、まず一回反対するって言うから、形の通りにとりあえず格好つけて。(笑)そうしたら本人が、「どうしても歌を歌いたい」って言うの。その「どうしても」はマジなんですよ。自分の娘ということは置いておいて、「こんなにマジになれることがあって、良かったよね」と僕は彼女に言ったの。マジだってことがわかったから。

ポイントはここなんですよ。マジになれることに出会えるかどうか。それを、みんな探しているんでしょうね。案の定、NHKでもそうでしたよ。そういう人が多い。なるほどな、って思った。

それで自分を振り返ってみたんだけど、時代も良かったのか知らないけれど、僕はもともと板金工になろうと思っていたんですよ。
ある雑誌にも書いてあったけど、「矢沢永吉は最初、板金工になろうと思っていたのが、ビートルズに出会ってロックシンガーになろうと気持ちを変えたらしい。ここがポイントだ」「彼は、なんで板金工になろうと思ったのだろう」とね。

僕は事実、板金工になろうとした事実を言ってましたから。それは今の君たちにはわからないかもしれないけれど、俺が中学校のころは、高校を卒業するだろ、うちのように親もいない経済状況では、大学にも行けないから高校が精一杯だし、もともと学校も好きじゃない。

そこで、「俺は何をするべきか?」と考えたんです。可愛いじゃないですか、14、15の少年が「俺は将来どうなりゃいいんだ」と考えているんだから。格好いいよね。

それで、板金工になろうと思ったのは、日本に車の時代がやってくると思ったから。みなさんから見ると「車なんて当たり前だろう?」と思うかもしれないけれど、我々にはまだわからない頃です。でも僕は「これからは車がもっと増える。車が主体になる。車ってことは、ぶつかったりすると、板金塗装が流行る じゃないか」と考えた。

さっき話した雑誌の記事には続きがあるんです。
「矢沢は、結局のところ歌手でも板金工でもなんでもいいから、一国一城の主になって、上に登りたかったというのは共通してるよね」と書いているわけ。このライターはわかってるなと思った。だって、当たっているから。僕は、板金工で当てられるだろう、そうしたら儲かるぞ、と思ったんです。

小林武史 × 矢沢永吉
それがビートルズと会って、一気に「やーめた! 歌手やろう」と思った。だから結局、何にピカッとくるかという話なんですよ。一番最初は板金工に、次にビートルズでピカッと来たんです。だから、ピカッとくるものに出会えるかどうかの問題。

でも、今の時代は難しいのかな。こんなに情報が溢れて、ないものがない時代になってしまうと。いや、どんな時代でも、その時代ならではの何かがないことはないと僕は思います。だから、そういうことに出会うかどうかの戦いだよね。
だからap bankでも、メッセージを送っているんじゃないですか。部屋に閉じこもっているよりも、外へ出たほうが何かあるだろうよということを、ap bank fesを通じて言っていると思いますし。
小林 そうだよね。みんなが矢沢さんのように、国民から愛されるようになれるわけではないけれど、真っ正直に生きていれば、それなりに愛されることはできるんじゃないかな、とは、今日、矢沢さんと話していて思いました。矢沢さんのような人じゃなかったら愛されない、というのではなくて。

矢沢 正直という言葉は置くとしても、自分の気持ちを素直に出す――これはクソ当たり前なことなんですよ。それがあまりにも、情報が多いせいなのか知らないけれど、遠回りなのか、ぐるぐる回っちゃっているのか、どうすりゃいいんだ、というところに現代社会は来たわけですけれど。もう一度クソ当たり前な、直球ど真ん中みたいなところに、戻ってもいいのかもしれないですね。そう思いません?

小林 本当にそう思います。
矢沢永吉
矢沢永吉

1949年、広島県生まれ。1972年、キャロルのリーダーとしてデビュー。1975年、「アイ・ラヴ・ユー、OK」でソロデビュー。以来、日本のロックの頂点に立ち続ける。2009年8月、アルバム『ROCK’N’ROLL』をリリース。60歳記念ライヴ“ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME”では、5万人の観客を圧倒した。

(撮影/今津聡子 構成/エコレゾ ウェブ編集部)

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