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小林武史 × 矢沢永吉
5年目を迎えた、ap bank fes’09のシークレットゲストとして、圧倒的な存在感を示した、矢沢永吉さん。
新しいアルバム『ROCK'N'ROLL』をリリースし、驚くほどのパワーで走り続けている矢沢さんに、「ap bank fesでの矢沢さんは完璧だった」と語る小林武史が、待望のインタビューをしました。
updata:2009.09.25
第2回 「つまりは矢沢が消えなければいいんだよね」
小林武史が、インタビューする「矢沢永吉」の第2回目。最近、いろいろな場面で矢沢さんを見る機会が増えたことを、小林が「今の矢沢さんは、時代が完全にウェルカムになっている」と表現したことから始まりました。
小林 せっかくの機会なので、ぜひ聞いてみたい話がいろいろあるんです。今の矢沢さんは、時代が完全にウェルカムになっているから。コマーシャルからなにから、矢沢さんが出たら売り上げも伸びているでしょ? 本当に、すべてが矢沢さんの方向に行くよう に、なっていると思うんですよ。今の状況について僕は、矢沢さんが戦って勝ち得たというか、「矢沢永吉の勝利宣言」と言ってもいいくらいだと思うんです。
矢沢さんの世代には、共産主義やマルキシズムという言葉が流布した時に、学生運動にハマった人もいっぱいいたでしょうし。その後、すごく難しく、ある種の 気取りをもって世界を捉えていた時代があって、今に至ると思うんですが、実は人間の求めているものって、もっとシンプルなものなんじゃないか。そのシンプ ルなことが複雑になって、鬱が流行ったりしているのが現代じゃないかと思うんです。
矢沢さんの新しいアルバムを聴かせていただいて、あらためて矢沢さんの包容力や成熟を感じました。たとえば「男と女」なんて、考えはじめてしまうと難しい。永遠のテーマですよね。家族だってそう。
けれども、矢沢さんはその難しさをどんどん暴いて分析していくようなことはしないけれど、矢沢さんが「Baby, ~だぜ!」と言ってくれることで、包容力がガンッと出て来ていると思ったんです。
そのことは昔からわかっていたんだけれど、時代が矢沢さんの成熟と完全に一致してきていますよね。誰もが「そうなんですよ、ボス!」っていう感じじゃないですか。僕らは、それをステージでも感じました。
ap bankの活動は環境問題から入っているんですが、ここのところ僕は、未来や人間、経済の問題を経たうえで、僕らにとって何が必要なのか、ということを自問自答しているんです。
そういう問いかけのひとつの答えを、矢沢さんが提出してくれているなと思って。たとえば音楽を聴いて興奮することって大事じゃないですか。今度のアルバムの一曲目にもあるように、「黙ってぼーっとして、何も手に入れられないと思って死んでもいいのかよ?」と思うし。
矢沢 自分では、よくわからないんだけれどね。
僕は、昔はわかりやすかったんですよ。世界経済や何とか主義がどうの、というよりも、ただ売れたかったし、有名になりたかった。有名とか売れるというのは、「自分の音楽を受け入れてもらいたい」「広めたい」ということなわけで、非常にわかりやすいですからね。
だから、昔はガツガツしてましたよ。そのガツガツ感を「いいね!」と、応援する人もいた。けれど、僕の初期のガツガツ感が嫌だった人もいっぱいいた と思う。日本人にはそういうのが得意じゃない人もいっぱいいるんですよね。非常に抵抗感をもった人もいたと思う。それが矢沢だったんですよ。
アメリカは逆でね。堀江(謙一)さんが太平洋単独横断を成し遂げて、サンフランシスコに来たときには「お前ほんとに、こんなちっちゃなヨットで来た のか? 信じられねえ」って言って、「密入国だ」とか「パスポートがない」という問題ではなくて「本当に来たの?」と驚くのがアメリカ人だよね。市長から 何からみんな来て、「お前、やるね!」みたいな。日本だったら、まず逮捕だからね(笑)、そういう国民性ってあるわけ。
小林 矢沢さんは、日本ならではの反応に対して窮屈に感じていたんですか?
矢沢 窮屈と思ったのかもしれないですね。「俺は素直に自分の気持ちを言い過ぎているのかな? しゃべりすぎているのかな? でも、だって欲しいんだもん。欲 しいから欲しいと言っているだけなんだけれど、この国だと国民的に、価値観として俺みたいなのをむさ苦しいと思う人もいっぱいいるのかな? 自分はまずい のかな?」と思った時期もありました。
でも、「俺の性格は変えられないしな、悪いことしているわけじゃないし。いいや、いっちゃえ!」ということで、やっていたんです。そうしたら、ある時に壁にぶつかった。その壁は「やたらと『成りあがり』の本を強調された矢沢永吉」なんですよ。
報道もマスコミもそうで、そうすると段々と広がるから、「音楽家・矢沢永吉」より、「夜汽車に乗って広島を抜け出して、唾を飛ばしながら『上に行きたい、上に行きたい』と言いたいことをしゃべり続けているむさ苦しい男」というのが第一にくるわけでしょ。
小林 そこだけ強調してしまうと、限定された人たちだけにアピールしてしまう印象が......。
矢沢 そこの範囲が決まってしまうのは、ちょっとね。でも、そういう時期があったんです。自分がそんなつもりもなく、蒔いた種かもしれないけれど。「あれ?」って、壁にぶつかった。
その壁は「ちょっと待ってよ、なんでいつも『成りあがり』の本を強調される矢沢永吉?」「夜汽車に乗って来た矢沢永吉?」「言いたいことを唾を飛ば しながら、上に行きたいとしかいわない矢沢永吉?」「違う! 俺は確かに言ってたけれど、それよりももっと俺のメロディーを、音楽を聴いて欲しいんだよ! 俺は、こんなにいいコード進行の曲を書いているんだよ!」と言いたいんだけれど、もう、そんなの二の次。なんでこうなっちゃったのかな、と思ったときは ありました。
どちらかといったら、はぐれ者みたいな奴が、行くところがないのかどうかしれないけど、みんな矢沢のところに来たんですよ。困るわけ。
「なんで桑田佳祐には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思った時期もあったけれど、ある人に「永ちゃん、でもさ。そう いう人たちはそういう人たちで、すごく音楽を求めているだろうし、そこで自分の生き方を感じたりもしているだろうし。だから絶対に、今の矢沢が歩んでくる ためには、それが必要だったんだから」というようなことを言われて。「そうかもな」と思うことができた。
つまりは矢沢が消えなければいいんだよね。そうすれば、そのうち矢沢のファンじゃない人が「矢沢って、例のアレでしょ? 言いたいことバリバリ言って、むさ苦しい奴だよね。でも、彼って消えないよね」と思うようになる。
また僕自身もだんだん年をとってきて、すべてについてオープンになりたいという気持ちが大きくなってきた。時代もだんだん「彼、まだ消えずに歌って るんだ」という方向に振り向き始めたし。あんまり好きじゃない人も振り向く。そのときに「なぜ、矢沢は消えないんだ?」と思ったはずだよね。
状況と自分の変化、それがちょうど交わりはじめたのが、ここ5、6年くらいなんです。時を同じくして、4年前にROCK IN JAPAN FESに出させて頂いたじゃないですか。そこで初めて矢沢を観た、という人がいっぱいいたんですよね。アーティストの色にも赤とか白とか、いろんな色があ るように、ひょっとしたら矢沢の色も選ばれたのかもしれないですね。この色で、お前色、みたいな。
でも今は、下手したら「もっとおれの音楽を聴いてくれ」ということすら、考えてないのかもしれない。もっと自然にやりたい。だから、今回のアルバム はすごく自然にできちゃった。それで、「ap bank fesに遊びに来ませんか?」と言われて「行く行く!」みたいな。すごく自然ですよ。ちょうどいい時期ですね、今は。
矢沢永吉
1949年、広島県生まれ。1972年、キャロルのリーダーとしてデビュー。1975年、「アイ・ラヴ・ユー、OK」でソロデビュー。以来、日本のロックの頂点に立ち続ける。2009年8月、アルバム『ROCK’N’ROLL』をリリース。60歳記念ライヴ“ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME”では、5万人の観客を圧倒した。
(撮影/今津聡子 構成/エコレゾ ウェブ編集部)